「犬神家の一族」横溝正史


犬神家と菊の関わりがポイント

積読解消「金田一耕助」第三弾は菊と縁の深いあの作品

結構、菊の写真を撮るのが好きだったのだけど… 意味がないことに気づいて止めた。しかし!自分の写真にそもそも意味などないのだから、今年はまたたっぷり菊の写真を撮りたいかなと。

なぜ菊と縁が深いと言えば、「よきこときく(斧琴菊)」が見立てでストーリーが進み、それは音羽屋の尾上菊五郎の役者文様にもあって、2006年の映画には富司純子と尾上菊之助母息子が同じく母息子役で出演… と菊にまつわるネタが多い。

本のタイトル犬神家の一族
著者名横溝正史
出版社角川文庫
この写真にちなんで、こちらの文庫を紹介したい。

音羽屋・尾上菊五郎一家との関わり

横溝・金田一作品はまだ未読のものもあるけれど、犬神家は好きで再読してるし、映画1976年とリバイバルの2006年と両方見ている。

構成は次のとおりで、映画と比べると多少の違いもあり、どちらもそれなりの世界観があってよい。文で読む原作の方が話題(ネタ)が広く、目でも見る映画の方が話題が少ない分、犬神家の面々の人間関係が濃いかな。

  • 発端
  • 第一章 絶世の美人
  • 第二章 斧・琴・菊
  • 第三章 凶報至る
  • 第四章 捨て小舟
  • 第五章 唐櫃の中
  • 第六章 琴の糸
  • 第七章 噫無残!
  • 第八章 運命の母子
  • 第九章 恐ろしき偶然
  • 大団円

ネタバレしないようポイントを紹介すると、犬神佐兵衛とお世話になった野々宮大弐の関係から、いろいろ始まる。

佐兵衛翁のこの終世かわらぬ感謝の念と、大弐の遺族のものに対する報恩のまことは、たしかにひとつの美談であった。しかし、物事にはおのずから限度というものがある。翁の死後、犬神家の一族に起こった、あの血みどろな殺人ざたは、すべて佐兵衛翁の野々宮家の遺族に対する、報恩の念が、あまりにも度が過ぎていたところに、端を発していたのであった。

犬神佐兵衛の、母が異なる三姉妹(松子、竹子、梅子)とそれぞれの息子(佐清、佐智、佐武)が、野々宮家の珠世(しかも美人!)を巡り、遺産相続も絡んでいろいろ事件が起こるのである。

ちなみに、2006年の市川崑監督のリバイバル映画では、松子を富司純子、小太りの竹子を松坂慶子が演じているけど、ぴったりな感じだった。ただ… 底意地の悪さはなかったかな。やっぱり。梅子は萬田久子だけど、彼女が最も意地悪雰囲気を出せるかな?とか失礼なことを思う。

他も、どの役を誰がやるのか、1976年の役者と2006年の役者、どちらの演技が怖いか?と比較するとますます楽しめる。

姉の松子の細いながらも竹のように強靭な体質に比して、竹子は小太りに太って小山のような体をしている。あごも二重あごで、いかにも精力的な感じである。それでいて、こういう太った婦人にありがちな人のよさは微塵もなくて、姉に負けず劣らず底意地の悪そうな女だった。

次のように言及しているものの、2006年版で佐清を菊之助が演じるのは偶然かなと。

「(略)斧琴菊は最初、那須神社の、なんといいますか、一種の神器だったんですね。つまり、三種の神器ですね。東京の役者の、尾上菊五郎の家にも、斧琴菊という嘉言があるそうですね。(略)」

映画ではわりとポンポンと殺人事件が起こるものの、小説の方では進行がゆっくりと感じられ迷宮ぶりを演出させられるが、次の一文が出てくると事件の伏線が回収となって、あの場面(湖から足が突き出る)結末となる。

さらにかれらは知っているのだ。去る十月十八日、若林豊一郎殺しにはじまった、この一連の殺人事件も、いよいよ大詰めにちかづいているということを。ただ、だれにもわからないのは、犬神佐清がはたして真犯人であるかどうかということである。

「スケキヨ」の由来を知るためにも、是非映画は見て欲しい。個人的には2006年のリバイバル版推し。

映画はこれ!

監督市川崑、金田一役が石坂浩二で1976年と2006年、その間は30年!両方に出演している人もいる。

自分は断然とこの音羽屋母子(富司純子と尾上菊之助)版が好きだ。役にぴったり!珠世役が松たか子だったりすると、梨園の人間模様とか変な妄想が働いてしまっていかん。

1976年版はこちら。

この1冊でした