画像は駒場にある加賀藩のお屋敷だが、今回の1冊は麻布六本木にある華族のお屋敷での事件。あいにく、そちらの方面まで写真を撮りにいける雰囲気ではないので、手元にあったお屋敷写真を掲載してみた。
本のタイトル | 悪魔が来たりて笛を吹く |
著者名 | 横溝正史 |
出版社 | 角川文庫 |
これまで読了の横溝長編作品は次のとおりだが、記憶が薄れているのもある。
- 本陣殺人事件
- 八つ墓村
- 犬神家の一族
- 悪魔が来りて笛を吹く
次のものは未読だけど、いずれ絶対に読んでおきたい!
- 獄門島
- 悪魔の手毬唄
- 病院坂の首縊りの家
共通項は旧家醜態と戦争と犯人の言い分
初期の金田一耕助数作品を読んで思ったことは、作品が発表された太平洋戦争直後という時代を踏まえ、没落した旧家における醜態や歪んだ人間関係… という生々しい共通項があるなと。
下世話だが、お金持ちが没落する様子は庶民(自分たち読者)にとって、それだけで楽しめるけど、それだけではないところに、時代を経ても読み続けられる品があるかなと。
こちらは、全体に渡り三十章で構成されている。名詞なタイトルが多い時代において、文になっているタイトルが読書欲をそそる。
殺される玉虫伯爵、その甥の新宮、容疑者でもある新宮の妹の夫・椿英輔との人間関係は、わかりやすい。
伯爵のような脂っこい人物には、社会的な勢力に、未練も執着も持たぬ英輔氏のような人物は、ことごとく無能者に見えたのであろう。それでいて、自分の甥の新宮利彦の、人生におよそ酒と女とゴルフしかないみたいな生活振りを見ても、あいつはさすがにお殿様らしいと褒めていたというのだから、玉虫伯爵という人物が、いかに脂っこい人物であるかわかるだろう。
一方、新宮の妹で椿英輔の妻である人物は、決定的な働きをすることはないのだけど、その存在だけが怪しい。まあ、それがこの小説のストーリーを引っ張ってゆくのであるけど。
中身はないのに存在だけが厄介な人物って、今の時代でもいるなって思うときがある。
金田一耕助はしかし、だんだんこの狂い咲きの妖花の放つ強烈な芳香になれてくると、それをうとましいと思うよりも、相手の無智があわれになってきた。
次でいう「彼女」とは椿の娘であり、二十歳そこそこの娘がこのように覚るほど、無能に近い母が抱える女という性は厄介なのである。
彼女はちかごろやっと母の肉体が、いつも火のように燃えているのだということに気がついた。そして、その火をしずめるためには、目賀博士のような脂ぎった男性が、どうしても必要なのだということを覚った。
けして女欲だけで進む話ではない。
読み進み、もう一つの金田一横溝作品の特徴を見つけた。
最後の20%ほどで、わかりやすく事件の総括をしてくれる。そのきっかけとして、次のような文章があり、それに出会うと読者の自分も「おお、ようやくこの迷宮から抜け出せるんだな」と妙な安堵を感じたりする。
第二十四章で
だが、この休止期間といえども、なにもかもが一切が休止していたわけではない。表面さりげない、ごく些細な動きのなかにも、解決への気運は着々として芽生えつつあったのだ。