「ワン デイ イン ニューヨーク」サローヤン

カバー 宇野亜喜良

古書店を徘徊していると、しばしば見かける作家だけに、一度は読んでみたいと思っていた。しかも自分、ニューヨークが舞台の小説と映画は無条件で気になってしまう。

ウィリアム・サローヤン(1908~1981 アメリカへ移住したアルメニア人の末子)とアーウィン・ショー(1913~1984 ロシア系ユダヤ人)の作品がどことなく似ているのは、同時代に生きたせいかな?

文庫概要

タイトルワン デイ イン ニューヨーク
著者ウィリアム・サローヤン
訳者今江祥智
出版社新潮文庫
この写真にちなんで、こちらの文庫を紹介したい。

カバー 宇野亜喜良

名前を見るとなるほど!と納得してしまうが、後年の特長的な雰囲気はまだ少し鳴りを潜めている感じの絵かなと。

内容紹介

原題は「One Day in the Afternoon of the World」なので、ニューヨークとは訳者の技のようだ。日本人からすれば、自分みたいなニューヨークという単語に反応する読者もいるだろうから、悪くはないと思う。

ユダヤ系の背景は有してないようで、作中ではアルメニア人としての背景を強調しているが、おそらく日本人の多くはそれを理解できないかも… とは言え、それがわかってなくても読める。

内容はバツイチの中年男性が、舞台やテレビの脚本仕事(で収入を確保)のためニューヨークに来て、別れた家族(妻、娘、息子)や幼なじみとお互いの境遇を語り合いつつ、滞在中のやりとりを語るという、まさにドラマのような筋立て。

次のセリフは幼なじみのもので、お前というのが主人公。

「お前、同化してるぞ。相変わらずもう。何を言ってるんだ。お前はバスに乗り遅れたりしなかったし、ちゃんと間に合ったんだ。しかもお前はそれに乗っかったんじゃなくて、そいつを運転したんだ。なにもかも手に入れたくせに、ガキの頃と同じように、ずうっとご不満なんだよ。休みを取ることだな」

傍目からは成功に見えても、本人はいろいろ問題を抱えてよく眠れない.. という、よくあるシチュエーション。次のヴァンとは、主人公の息子のことで、主人公の父親に世話になった人が思い出話をした会話。

「まあ、おじさんは『古い国』から出て来た何にも知らない子供だったんだ、ヴァン。(略)アルメニアの移民はみんなそうさ。おじさんは、毎晩君たちのおじいさんとこに通って、英語を勉強したもんだ。おじいさんは故国にいる時から英語を知ってたんだよ。わしは毎日働いて、一ドル稼いだんだ」

自分、ニューヨークへの移民の思い出話が妙に心をそそられる。

「つまり、男の人は変わり者でいられるし、誰もそのことを何とも思わないわ。でも女が変わり者だったら、みんなが驚いちゃうのよね。特に殿方がね。でも一番ショックを受けるのはご亭主よ。でも、どうして私もあなたと同じようにちょっと変わり者だったらいけないの?」
「いけなくなんかないさ」
「わたしは自由でいたいのよ」
「もちろん」
「何でもできる準備をしておきたいの」

そして、上は妻の言葉。フム、この時代の日本人女性は言いそうにない自己主張にアメリカらしさが感じられる。そして最後は主人公(作者)の総括。

(略)人は自分自身完成することなく、完成できず、死によってさえも完成できず、完成するべく生まれたのでさえなく、――気がつけば四十七になるまで、昼も夜もずっと歩き続けて来た。(略)

と、ニューヨークを舞台にありがち?だけど、作者の数だけ異なるドラマになる話だったかなと。広い意味では「クレイマークレイマー」も似ているかもで、そういう人生を語る話が似合うニューヨークはいいなと思う。

1冊読むだけでは、まだまだこの作家の特長はつかめなかった。

この1冊でした(Amazon)

ちくま文庫でもあるらしい。