自分が生まれたころにも残っていた侘しい温泉地
本書でも触れられている丹沢、ハイカーや外国人で賑わいもはや侘しい地域でないのかも。
大山神社参道、土産屋の店頭にあった不思議な柑橘類の色が目についた。
著者による「文庫本あとがき」に自分は惹かれた。
(略)私の場合は行楽としての温泉には関心がなく、昔ながらの地味で面白味のない湯治場に惹かれていた。
渋い温泉地をモノクロ写真とエッセイで紹介しているこちら。
侘しさより深い部分にある「つげ義春」の魅力とは
かつてより、氏の作品をゆっくり読んでみたいと思っていた。どれほど実生活が反映されているのか、本人も侘しいものに魅力を感じるとおっしゃっているが… 正直読んでいる方も暗い気持ちに… なる。
しかし、暗いだけでは終わらないのは、笑いがある?からか。それほど笑いはないと思うけど、共感が得られるのは、その貧乏から抜けようと我武者羅(がむしゃら)にならない適度な脱力がいいのだろうか?
写真
東日本の寒い地方が多め。つげ氏の好みなのか、秋田や福島が絵になるのだろうか。温泉地は寒いとこに自分は惹かれる。
- 青森・岩手・宮城・山形
- 秋田
- 福島
- 関東・甲信
- 九州・近畿
昭和44年〜昭和63年の写真だから、自分にとっては想像が及ばないほどむかしではない。つげ氏が言う「地味で面白味のない」雰囲気がよく出ている。現在でも、こういう写真は撮れるのかな。
エッセイ
秩父行きでのコメントだが、始終こういう調子でエッセイは続く。つげ氏に追随する妻子の忍耐も素晴らしいと思う。
一階の奥まった暗く陰気な部屋に通された。私一人なら陰気を噛みしめていられるのだが、妻子は川に面した部屋はみなふさがっていると聞いて残念がった。
独身なら、どうぞ!なのかもしれないが、「自分を閉じて暮らす」という文章が刺さる。
いかにももの寂びた印象で、それ以来私は堂守りに憧れるようになった。私はつねに不安なので、それを鎮めるには、夢も希望も自由も得られない限定された境遇に自分を置くことによって可能なのではないかと、そんなふうに思え、堂守りや墓守りなどして自分を閉じて暮らすのもひとつの方法ではないかと、考えたりしていた。
時に自分も人疲れすると、こういうのに憧れるが… 憧れで終わっているのがよいのかなと。
- 下部・湯河原・箱根
井伏氏は自分のライフワーク(?)にしたいと思っているので、いずれやっぱり下部(しもべ)はゆっくり行きたい。
井伏鱒二の定宿だったそうで、釣の好きな文豪が、源泉館主人と釣を楽しんだ話を読んだことがある。
信玄の隠し湯だけに、気になる。wikipediaを見ると、家康の隠し湯でもあったらしい。
と前置きしつつ
イメージとしても、沸きたつ温泉より、青緑の冷ややかに澄んだ冷泉のほうが、気持ちに浸透してくる何かしら濃いものがあるように思える。大市館の浴場は地下の洞窟になっていた。いかにも霊泉に浸かっている心地になる。
鉱泉・霊泉は単なる観光だけでない、覚悟?がいるかな。現在でも、鉱泉って入れるのだろうか。
そして最後の「丹沢の鉱泉」では、不安定な漫画家稼業ではない違う生き方を探っていそうなつげ氏の焦燥が感じられる。
私は自分の好きなことは趣味にとどめているだけでは物足りず、何でも商売にしたくなる性分で、旅が好きだから「旅屋」を考えてみたり、さんぽが好きなので「さんぽ家」になろうと思ったりエスカレートするのだが、「旅屋」も「さんぽ家」も収入にはならない。だが、鉱泉なら現実味がある。
結局は嬉しく思っている段階で済んだのだろうか?
こんな侘しい所に泊る者はいないのではないか。しかし、暗くて惨めで貧乏たらしさに惹かれる私は、穴場を発見したようで嬉しくなった。
それにしても、「侘しい温泉」だけで文庫1冊分読ませてくれたのだから、やっぱりつげ氏の世界の底は浅くない。
精神的にもキツい人生を送られたようにも思えるが、ネガティブ思考も暗いだけで終わらない氏の作品をもう少し読み進めたい。
この1冊でした
やっぱり、温泉はいいな。