田辺茂一(1905~1981)氏とはwikipediaの力を借りると
東京府(現:東京都新宿区)出身の出版事業家、文化人。紀伊國屋書店創業者。
だけに、氏が語る新宿の話は面白い。戦後の復活する日本を独自の生き方で楽しんだ方のようだけど、新宿の紀伊國屋書店が辛うじて維持する文化の香りは氏のおかげなのだろうか。
文庫概要
タイトル | わが町・新宿 |
著者 | 田辺茂一 |
出版社 | 旺文社文庫 |
表紙絵は旺文社文庫常連の橋本勝氏かなと思ったら、違った。
カバー画 辰巳四郎
寺山修司との作品が多い方なのか、どこでとなく既視感残る表紙のイラストだけど、どこで目にする機会が多いのかは思い出せず。なおwikipediaを見てみると、椎名林檎氏は姪っ子とのこと。フム。
内容紹介
本文紹介よりも、目次を列挙してみた。多いのは新聞連載(後述)をまとめたものだから。
- 明治の終わり
- 大正のはじめ
- 大正の中ごろ
- 大正の終わり
- 因果のはじまり
- ほていや百貨店進出
- 紀伊国屋書店開店
- 画廊のハシリ
- 若き日の作家群
- 身を粉にしての遊び癖
- 演劇ファンとしての芽生え
- 中村屋
- 警察沙汰とロシヤ友好
- 徒弟教育の範
- 新宿停車場の移転
- 老舗高野
- 躍進タカノの国際感覚
- 新宿の詩人たち
- 新宿の祭り
- ムーラン・ルージュ
- 武蔵野館界隈
- 「行動」創刊
- 俺だって昔は
- 威容伊勢丹の進出
- 道義に貫かれた経営
- 時代感覚のひろがり
- 三越屋上の「希望の鐘」
- 店歴ほこる大通りの老舗
- 新宿三田会の人々
- 裏があるから表がある
- 末広亭と花園神社
- 空襲前後(上)
- 空襲前後(下)
- ハーモニカ横丁(上)
- ハーモニカ横丁(下)
- 飲み屋の女侠たち
- 歌舞伎町由来
- 歌舞伎町と藤森氏
- 駅のソバの丸井
- 新宿PR委員会
- 新宿駅九十年
- 十二社熊野神社
- 京王グループ勢の躍進
- 小田急四方山ばなし
- サブナードの若ものたち
- 宿場新宿の名残り
- 新宿警察百年(上)
- 新宿警察百年(中)
- 新宿警察百年(下)
- 屠蘇気分
- 学校への道順
- 夢のあとさき
- 一の宮と火事のはなし
- 近所の本屋(上)
- 近所の本屋(下)
- 近所の銭湯
- インスブルックの演説
- チロルの誕生日
- 激賞に値する社史
- 街づくりと意識革命
- 鶏供養と荒木町
- わが名わが歌
- しゅうまいの早川亭
- 三途の川の花見酒
- 新宿歌謡フェスティバル
- 「火の車」風雲録
- 新宿案内記
- 興味深い四谷警察署史
- 私の引越し歴
- 「三河屋」と「伊勢虎」
- ダークダックス百年祭
- 東郷青児美術館
- 神垣とり子女史(上)
- 神垣とり子女史(下)
- 新宿の原っぱ
- 新宿味どころ
- 太宗寺
- 百歳レース
- 追分だんごと花園万頭
- 青山ベルコモンズ
- 新宿三十年
- 新宿泥棒日記
- 無漏の法
- タカノ・ファッションショー
- 企業に課せられた仕事
- あとがき
大正のはじめ
つまり明治末期は、新宿には目星しいものは何ひとつなかったのである。
(略)
両国の大角力の地方巡業の小屋のかかったのも、大木戸裏であった。
小常陸、石山、柏戸などが、四谷新宿界隈の出身力士であった。
寄席も四谷の「喜よし」であり、「末広亭」は年に数回、浪花節、琵琶がかかる程度であった。
要するに、ちょっとしたことは、みんな四谷へ行かなければ間に合わない、という新宿であったのである。
と、近代新宿の歴史が始まる感じ。自分も30年近く利用している土地だけど、近年再開発が進みそうで、また新しい新宿になるのかな。
あとがき
「わが町・新宿」「続わが町・新宿」を「サンケイ新聞」に連載し始めたのは、昭和五十年一月からであった。
最初は一年間五十回ぐらいの予定であったが、都合でさらに延び、つぎの年の五十一年九月までつづいた。計八十五回になった。
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この文庫本はもはや絶版だけれど、最近発売されたこちらは気になるなる。談志師匠が若いを越えて、愛らしい。