いつの時代でも奥多摩は東京都の行楽地
川遊びは小学校時代に通ったプールスクールの林間教室以来遊んでないかな…と羨ましく思ったり。
昭和初期には絵描きさんたちが、写生で当地に足繁く通っていたようです。そんな話も出てました。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「気まぐれ美術館」洲之内徹
全く気まぐれでない美術評論
新潟出身の佐藤哲三という画家の遺作展をすべく、新潟に足を運んだ時の旅先での女将の言葉を拾って紹介してます。
「十二月の雪はほんと憂鬱でしてね、同じ降っても、一月とか二月だと、やがて春がくると思って気が楽なんですが」と言った。
スキー部の合宿で行った新潟の雪は、十二月より二月の方が暗く重かった思い出あります。けど、地元雪国の方の感じ方は異なるのでしょうか。
(自分の思い出はどうでもよいですが)こうして地元の人とのやりとりを交え、佐藤哲三という画家とその作品を紹介(評価)してます。
そういう展覧会に出品しておけば、それだけでもう下手な鑑定書など必要なくなるわけだし、持主もよろこぶものと思って二つ返事で引受けたのだったが、いざとなると、それがそうは行かなかった。持主は、この絵を税務署に知られるのを恐れて、公開の展覧会には出したくないと言うのである。
税務署の方々は、本当によく見てますから。このような裏事情にも読まされます。
耐える、というのが新潟人の気質の基調だとMさんは言う。また、貧乏を経験しないでは蒲原平野は解らない、人は雪に耐えるように、貧しさに耐えているのだ、と言うのだったが、(略)
と、ここでは「蒲原平野」の風景画を語るに当たって(また)新潟と新潟の画家たちの気質を語ります。
根本的に、ただ作品を評価しているのではなく、自分なり画家自身たちの実体験を通して作品を語るから(読み手は)妙に説得させられます。そして、苦しんだ結果生まれた作品ほど見る方も響いてくるよね、やっぱり。
美術には素人な自分ですが、とてもわかりやすくて今回読んだのは人生において3回目。今回は結構印象に残ったかもです(多分)。