女の後ろ姿から感じられるものは…
「モーム円熟期の傑作長編」と言われているが、自分好みのハッピー(エンドか否かはおいておいて)な前向きな感じで終わっているのは清々しい。それでいて、
しかも女主人公というのが、この作家のもっとも得意とする年増女である。テーマは性的な恋愛に敗れた女優が、芸術の悟道に入るというので、これもモームには打ってつけのものといわずばなるまい。
と訳者解説にあるが、年増女は46歳、私ごとで恐縮だがアラフィフの自分と被る部分がある。自分と女主人公をオーバーラップさせたつもりはないけど、つい被せたい気持ちはあったかも…。
本のタイトル | 劇場 |
著者名 | S・モーム |
訳者名 | 龍口直太郎 |
出版社 | 新潮文庫 |
画像の女性は熟女というほど熟した感じはなかったけど、女性として真剣に生きている雰囲気を感じて選んだ一枚。
男性作家がどうしてそこまで女心を描けるのか?
全二十九章で仕立てられている。
この年増女(←訳者の言葉)46歳女優のジュリアを描くために、属性の異なる4人の男が登場する。
夫のマイケル、若い燕のトム、貴族で紳士で教養高くジュリアに惚れ込むチャールズ、そして可愛い息子のロジャー弱冠17?19歳くらい。
「(略)脚本がまともなものでさえあれば、大衆が見にくるのは、なんていったって俳優なんだ。けっして芝居がめあてじゃないんだよ」
かつては夫に夢中だったのに、出産を過ぎると、何かにつけ出来過ぎる夫を退屈と言い切る主人公のジュリア。
そういう気持ちは、もはや彼を愛していないというところから起こってきたものだ。
人は満たされると不満になりものだなと。
彼女の愛情にふさわしいものをあれだけ持ち合わせながら、しかも彼にはたまらないほど退屈を感じさせられる、というのが彼女には腹立たしかった。
この小説は男と女を語っているものではなく、むしろ満たされた女性(ジュリア)による男性分析な色合いが濃いのだけど… 次の表現などは作者の言葉に近いのかも。
男というものは、習慣の動物なのだ。だからこそ女の言いなりになっているのである。
次の言葉はジュリアが若い燕のトムとのなかを周囲に悟られ、良識ある周囲から忠告を受け、それによって周囲とのやり取りにおける最中に出た言葉。
「まるで、嘘をつきながら、そのことを知らないみたい。それがいけないんだわ。すべてを知ってバカになっているほうが、何も知らないでバカになるより、ましなんじゃないかしら」
一方、長年自分に憧れていると思っていたチャールズにモーションをかけてみるジュリア、しかし、そのチャールズの反応は…
彼女は、チャールズの微笑がその面上で凍りつくのを見てとった。彼には彼女の気持がすっかりわかったのだ。
1937(昭和12)年のイギリスにおける上流社会での作品だけど、現代日本の庶民の人間模様に置き換えても成り立ちそうなシチュエーションが多かった。それだけ男と女の関係は不変なもので、どこに自分の立ち位置を決めるか…
基本は少しの刺激を楽しみにつつ、穏便な生活を送りたい年増女と呼ばれる世代の自分。