wikipedia からの引用で申し訳ないけど、まだご健在のようである。
白石 かずこ(しらいし かずこ、1931年2月27日 – )は、日本の詩人、翻訳家。本名、白石嘉壽子。
妹に白石奈緒美(女優・料理研究家)がいる。
(略)
一時期、映画監督の篠田正浩と結婚していた。
何となく、妹さんのお名前の方がぼんやり記憶があるかもしれない。ネットで若い頃の写真とか検索するすると、それなりにとんがった生き方をされていたようにも見受けられる。2冊ばかりエッセイ集のようなものを読んだけど、主張されていることは分かりやすいし、非常に敏感な感性もお持ちだったのかなと。happyのことを「ハピー」と記述したところに、ちょっぴり戦後背伸びをしつつある日本を感じてしまった。
文庫概要
タイトル | ・JAZZに生きる −−わたしの内なる異邦人の旅 ・可愛い男たちと可愛い女たち −−わたしの映画飛行 |
著者 | 白石かずこ |
出版社 | 旺文社文庫 |
ヘッダーの画像は杉並区の老舗、こけし屋のクッキーとレーズンパイ。インスタ映えしそうな雰囲気は全くないが、素材の味を生かした昔ながらの優しい味わいがする。本書にも登場してて、白石女史の活動範囲が自分のホームグランドと被って親近感が増す。
内容紹介
「JAZZに生きる」
目次は次の通り。
- JAZZに生きる
- マイルス・デイビスの天才とファッション性
- セシル・テイラーと若い旅人の持ってきた生と死
- ブルースとファッシズム
- 沖至の愉悦と流浪
- 音空間に屹立するグリーンへの詩の思い入れ
- 詩が国境を超えるとき
- ニグロの朝
- 音楽と男
- JAZZ・day by day
- アメリカ・day by day
- アドリブ・day by day
- あとがき
- オマージュ!かずこ 池田満寿夫
「JAZZに生きる」から、詩やジャズの即興性がぼんやりと…
こんな具合に、昔の人、芭蕉や西行はアドリブ旅行した。
彼らは、旅でアドリブを始めた先輩たちだ。
「セシル・テイラーと若い旅人の持ってきた生と死」から
全身ふるえるほどの後悔が、ここにいる会場の楽しい間も、わたしの気分の上を航海した。すると山下洋輔があいて、明日、西荻窪の「アケタの店」にもしかしたらセシル・テイラーを連れてきて、モチロン、山下さんもやるというのである。
西荻の名店、こけし屋も登場。
「詩が国境を超えるとき」から
彼は白いキモノを着て、わたしは虹のローブをきた。服などはどうでもいいといえばどうでもよいのだが、舞台でやるということはヴィジュアルなことなので、聴衆の耳だけでなく眼のことも考えるのが礼だとわたしは思う。
そして「あとがき」は池田満寿夫氏で、非常に分かりやすい著者の描写である。
私が白石かずこにはじめて会ったのは二十年前のことだ。(略)当時一緒に住んでいた富岡多恵子が連れてきた。かずこは既にスキャンダルな詩人だった。かずこそのものがハドソン川だった。森茉莉を驚愕させた火星人のむらさき色のマントを着て、風の如くやって来て、風の如く去って行った。風の又三郎はむらさき色のアイ・シャドーをし、爪は銀色に塗られていた。かずこは富岡とぺちゃくちゃ、ぱちゃくちゃ喋り、鉛筆をなめながら子供のような字で詩を書いた。一人娘のユーコが青い顔をして杉並の部屋で待っている。娘のために玉ねぎをむき、鉛筆をなめながら詩を書くかずこ。若い男たちが目を輝かせてこの女王の前に集まった。
「可愛い男たちと可愛い女たち」
副題にあるとおり、映画評論調エッセイ集。
- 「ひきしお」
- 「ゴッドファーザー」
- 「レニー・ブルース」
- 「サウンダー」「バタフライはフリー」
- 「O嬢の物語」
- 「走れ!走れ!救急車」「サイレント・ムービー」
- 「カー・ウォッシュ」「ニューヨーク、ニューヨーク」「さすらいの航海」
- 「アニー・ホール」「カスパー・ハウザーの謎」
- 「曾根崎心中」
- 「結婚しない女」
- 「イノセント」
- 「マリア・ブラウンの結婚」「マンハッタン」
- 「美女と野獣」「オルフェ」
- 「ベニスに死す」「地獄の堕ちた勇者ども」「イノセント」「家族の肖像」
- 「カサノヴァ」「カリギュラ」
- 「67番街の子供たち」「ブリキの太鼓」
- 「赤い靴」「ホフマン物語」「ロミオとジュリエット」
- 「タイムズ・スクエア」「マンガニーニ」「スフィンクス」
- 「エンドレス・ラブ」
- 「上海異人娼館」「女の都」「ジェラシー」「嗚呼!おんなたち猥歌」
- 「砂時計」
- 「ナーペト」
- あとがき
- 解説 森茉莉
「アニー・ホール」「カスパー・ハウザーの謎」では、「西ドイツとアメリカに詩と小説のちがいをみる」として比較しているのだけど、
監督・脚本・主演のウディ・アレンの映画「愛と死」をアメリカのテレビでみたのは去年だった。なんてヘンなデタラメなおかしな濃(コク)のある才能の男がいるんだろうと。
「マリア・ブラウンの結婚」「マンハッタン」では、「縦の映画と横の映画」として、
(略)喜劇でもかかなきゃ、とても、まともな顔をして、こんなバカげた、すばらしアホ―共を、描いたりはできないと、ウディは思っているのであろう。おそらく、ジューイッシュ・ジョークは、世界で一番、屈折して、鋭い批評精神を隠したジョークであろう。(略)
ウディ・アレンの言及が散逸されるけど、80年代は監督としても男性としても脂の乗っている時期だから美味しいと思う。2021年のアレン氏は存命かと思われるけど、こちらもいかがお過ごしなのだろうか。彼の映画はどちらかと言えば好きだけど、複雑な人間性を背負っているんだなと、いつも自分は思う。
そして最後に「解説(わが愛する白石かずこ)」で自らを語っているが、冒頭興味深い発言をしていた。
私は詩というものが解る、とは言えない。
萩原朔太郎は、四次元の世界というものが見えている人だった。その朔太郎の娘の葉子は父親に訴えたい哀しみがあって、朝、顔を洗いに下りて来る朔太郎の傍へ行って、訴えようとしたが、朔太郎の目は、どこか遠いところを見ていた。彼はその時、四次元の世界を、見ていたのだ。
森茉莉(1903-1987)、萩原葉子(1920-2005)、白石かずこ(1931-)、池田満寿夫(1934-1997)と年代にズレはあるけど、濃厚な70〜80年代を過ごしていたことがうかがえて興味深い。
20代の頃、1年だけニューヨークに住んだことあるけど、しばしばポエトリーリーディングが開催される予告を目にし、現地の人たちが好きなことに驚いた。自分の興味が乏しいだけなのかもだけど、好奇心旺盛なだけに、語り口調は読んでて楽しい。