「伯耆富士」それは鳥取大山
最近、まったく西日本へ行っていない。
同じ国でも空気が違う地域があることを実感したい。それに歴史も感じたい。
著者が主人公に思いを込めて語らせた「伯耆富士」です。
本のタイトル | 菜の花の沖(一)(二) |
著者名 | 司馬遼太郎 |
出版社 | 文春文庫 |
江戸時代を含め、その時代よりむかしの小説を読むと、京の都の底力?みたいな感覚が気になる。西日本気になる。
今年の大河小説は司馬遼太郎の作品をば
純粋に読んでいて思ったことは、司馬作品は説明や解説が多いなと。確かに、小説舞台としての歴史空間を用意するのであれば、現在のわれわれの感覚とは違う文化も少なくないから、説明も必要になるよなと。
以前、高知旅行の前に予習として「竜馬がゆく」を読了したことがある。いつか「坂の上の雲」も読みたいと思いつつ自分はあまり司馬作品の中毒にかからなかったな…。
あらすじをwikipediaから引用すると
江戸時代の廻船商人である高田屋嘉兵衛を主人公とした歴史小説である。
であり、日本の廻船業者や北前船のことを知りたいと思っていただけに、今年の大河小説はこれにしようと飛びついてしまった。1700年代後半から1800年代前半を生きた実在の人物らしい。
全6巻のうち、1〜2巻を読了。
(一)巻
起承転結の起に当たるところだけど、貧しい家に生まれて村八分にあって、正直まだストーリーは立ち上がっていない。
いじめも半端ないのであるが、人はこうしてサバイブの術を得てゆくのかとポジティブに読み取ってみた。
若衆組の制裁というのは、陰惨なにおいがつきまとっている。
以下、随想風にのべたい。
百たたきというのがある。仲間で寄ってたかってジョサイ(註・如在? 悪い事)した者をなぐるという素朴な刑である。
主人公は淡路生まれ、まずは兵庫でひと華咲かせるのだけど、伯耆国(鳥取県)とも接点がある。もう一度行ってみたい、鳥取県。
伯耆国の沖にさしかかると、風景は一変してしまう。
天にむかって大きく大山がそびえ、伯耆富士といわれる名に恥じないと嘉兵衛はおもった。
次は、人間関係や社会に疲れたとき、実感できる話だなと。
(海はいい)
と、心からおもった。権力という漬物石で圧しつぶされているような陸にくらべれば、船乗りはすくなくとも航海中は自分の国の中で住むことができた。
(二)巻
ぐっと話は展開する。
地元で村八分にあっていた主人公・嘉兵衛は、地元のアイドル?おふさと駆け落ち同然で地元を出るが、やがて自前の船も手に入れて故郷に錦を飾る。読んでいて気持ちいいところですな。
著者司馬氏による解説も減ってくるが、ときに挟まっている小ネタが自分に刺さる。
「淡路だけでなく、諸国の神々が毎年十月にこの出雲に集まられます。そのために諸国では10月のことを神無月と言いますげな」
香禅は、杯を口許にもって行った。
「おお、淡路でも十月は神無月というわい」
「出雲では十月を神在月と申します」
ストーリーが立ち上がり、登場人物も村八分に精を出す平凡な田舎者から個性的で有能な人物へと変わる。
松右衛門は挙措はざっかけなく、日常、世間の者を敬するという態度にかけ、ときに他人の肺腑にいきなり手を突っこむという不作法を平気でやった。そのために松右衛門をきらう者も多かった。
西日本で育った主人公・嘉兵衛が、東北の地で意気投合した船大工とお酒を飲む場面で相手が語ること。自分、こういう話を読むと日本酒飲みたくなる気分を刺激される。
「酒の効用と申しますのは、口中を洗うことでございますな」
と、ふしぎなことをいう。たとえば、干魚をむしって食えば口中が濁る。そのあと酒で清め、里芋の煮ころがしを食うと、里芋の独立した味が口中にひろがる。逆も同じであり、与茂平によればそのために酒はあるのだという。
残り2/3だけど、江戸時代における物流網に詳しくなりそうだ。