牡丹灯籠ってどういうの?
牡丹と芍薬の区別もつかない自分だが、「牡丹灯籠」という響きだけで十分アートだなと。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「怪談牡丹灯籠・怪談乳房榎」
三遊亭円朝(ちくま文庫)
円朝は江戸の名所や小道具を随所に散りばめて、ストーリー以外でも話を膨らませる(楽しませてくれる)のが素晴らしい。
きっかけで容易に落ちる古典の世界
シェークスピアもそうだけど、自分にとってこの種の作品(古典)は、読もうと思ってもそう簡単に作品世界へ入っていけないときがある。読んでも読んでも、記憶に残らぬのである。
そのくせ、何かの機会ですうっと入っていけるときがある。そうなると、割に繰り返し拾い読みとかし始める。今回、NHKでのドラマ化でついに円朝の世界に突入できた(祝)。
怪談牡丹灯籠
こちらは、まず人間関係がやや複雑。
- 旗本・飯島平左衛門 vs 酒乱の黒川孝藏とその息子・幸助
- 平左衛門の娘・お露 vs 萩原新三郎
- 平左衛門 vs 妾のお国と平左衛門の甥・源次郎
- 萩原新三郎の店子・伴蔵と妻のお峰 vs お国と源次郎
- お国と源次郎 vs 黒川幸助
すっかり作品世界に浸ったから、複雑な人間関係もプロットもしっかり頭に入ったよ。
現代小説と異なり、読者の視点はどの人間関係の話かによって浮動する。そのくせ、可笑しいほどにどの人間関係も「ある!こういうの」という共通点で絡んでくる。
真っ直ぐな幸助が、主人から言われる
(略)手前は真っ直ぐな気象だが、向うが曲って来ればまっすぐに行くことはできまい。それだからそこをよけて通るようにすると広いところへ出られるものだ。(略)
少し予言めいているが、この真っ直ぐさがストーリーをひっぱる。そしてこういう予言が、結末への伏線になっていた。一方、現代でも通用しそうな指摘が刺さる。
「なるほどお前は屋敷奉公をしただけに理屈をいう。縁が切れても血筋は切れない。(略)」
むかしの人は、歌舞伎や落語、講談のドラマで感情の浄化をしていたのかと妄想すると、自分もすっきりさせてもらった。
怪談乳房榎
以前、テレビで歌舞伎を観たはずなのに、全くストーリーが記憶に残ってなかった。
本題へ入る前の前段の話なのだが、
お偉方のありがたい苦言に
(略)あれはこういうわけじゃ、陰は陽に帰るといっての、何ごとも極度まで参ればまた元へ戻るのが物の道理で、そちの家もそうじゃ、かように寂れ果てて今日にもよそう止めようまで決心いたすのは、これすなわち陰の極度まで参ったので、この上は元の陽に帰するより道はない、(略)
思うことがあって、慰め?になった。今の自分には、早く戻って来て欲しい何かがある。
怪談牡丹灯籠と比較すると、底が浅いななど上から目線の感想を持ったけど、江戸の名所が随所に現れて読んで(聞いて?)いる方も旅する感覚で楽しめる要素があるなと。今のお江戸には、地名は残っているが光景が残っていないのが残念である。
人間はあまり不正直過ぎましてもいけませんが、輪をかけた正直でも困りますもので、悪者の浪江に腹の中まで見透かされた下男の正介は、(略)
この話は、正直過ぎる下男のキャラクターが良くも悪くもストーリーを作っていたなと。
映像はこれ!
七之助氏も愛おしかったが、柄本佑氏のやさぐれ感が色っぽかった。柄本兄は妙に独自の芸風が出て来て今後追いかけてしまうかも。