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「富士日記」とは異なるテイスト
昭和を代表する作家夫人が綴った日記ということで、武田百合子女史「富士日記」と同じ感じかな?と、根拠のない偏見を持って読んでみると、そのような穏やかなものではなかった。
本のタイトル | クラクラ日記 |
著者名 | 坂口三千代 |
出版社 | ちくま文庫 |
夫婦二人の生活に犬の存在がかかせなかったことにちなんで選んだ一枚。
しかし、ご本人の性格と筆づかいがなせる業か、DVありセクハラありでも全く卑屈にもならず、言いなりにもならず、独自の信念に基づいて一緒に暮らしていたことがうかがい知れた。
犬、ゴルフ、遠足と夫婦をつないだ出来事が並ぶ
各章のタイトルラインナップは次のとおり。
「生まれなかった子供」とは、生々しいタイトルだけど… 書いたことで、三千代女史の気持ちが総括できてたのであれば、よいのかなと。安吾って、嫌なやつだなとも。
- 闇市にて
- 新生活
- チャプスイの味
- 闘病記
- かりの宿
- 生まれなかった子供
- 競輪事件前後
- 犬・ゴルフ・遠足
- ついの棲家で
- あとがき
闇市にて
最初の出だしは、良い意味での戦後の活気から明るい調子で始まったのですが…
終戦後東京はどこでも活気に溢れていたけれども、私はほかを知らない故もあって、新宿ほど雑然と混乱していて復活の息吹きを感じたところはなかった。
新生活
早速、浮気現場に居合わせる。
夫(安吾氏)の行動を客観視しておきながら、やっぱり… まだ若いしそう簡単には無視できないよねと共感。
私がいるためにすっと帰ってしまったのだったら今でも私は心にひっかかっていただろうと思う。彼だってそんなふうに別れたのならあとで慰問に行かなければ収まらないだろうから。
それでこのエピソードは終わりだ。あとに何も残さなかっただろうと思う。
チャプスイの味
一方、文句を口でゆうのではなく、メモを書いて渡すのだが、そのメモを大事に愛を感じるところが、やっぱり好きだったのねと。
どうしてこんなものがとってあるのかといえば、彼が私に叱言をいう時は大ガイ原稿用紙に書くので、それらは全部叱責の文面。人には見せられれないとは思ったが、大変に私への真情がこもっており、破り捨てる気になれない。
以前の職場に文句をメールで言ってくる人がいたけど、あれは嫌な感じだったな。肉筆の方がまだ人間味を感じられるのかな。
ついの棲家で
薬物中毒もあり、DV(家庭内暴力)が激しい時期の話があった。
彼があばれたりするキッカケが、ああではないか、こうではないか、と憶測するだけで確かなことはわからない。何かのキッカケで爆発が起こったとしても、それは間接的な原因であるに過ぎないと思う。芯はもっと根深くて、どうにもならないもののような気がした。でなかったら彼が、どうしてあんなに憂鬱な手のつけようもない、孤独な顔をして暮らしていたのだろうか。
正気を失った身内の対応は口では説明できない、自分も少し経験したことがあるだけに…。せめてもの救いは、割と当の本人が気にしてないこと。やはり、狂気は存在するのだなと思った。
最後は女性らしい気持ちをストレートに語っていた。
私は自分から進んで子供が欲しいと思う気持になったのを不思議に思う。子供が好きだから子供が欲しいのではなく、彼の、子供が欲しいのだ。
理由をつければいろいろとあるのだが、理屈なんかどうでもいいのだ。ただ彼の子供が欲しいというだけで、女はみんなそんなふうに思うものだ。
あとがき
これを読むまで、内容からして「気がクラクラする」方かと思った。
クラクラというのは野雀のことで、フランス語です。そばかすだらけで、いくらでもその辺にいるような平凡なありふれた少女のことをいう綽名だそうです。
クラクラというのは私の経営する店の名前で、獅子文六先生にお願いして、獅子先生が幾つかお考えくださった名前のうちのひとつです。