古本の価値を何に求めるのだろうか?
焚書(書物を焼き捨てること)という言葉があるのだから、時に本は高価であり、危険なのだろうなと。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「華氏451度」レイ・ブラッドベリ(ハヤカワ文庫)
1953年の作品とは思えない未来予知感覚
タイトルは一風変わっているが、これは紙が燃え始める温度を意味しているらしい。
時代は不明(多分、未来)だが、テレビやラジオなどの画像や音声による情報機器のみの社会で、文字情報である本が禁止され、発見され次第ファイアマンによって焼却されるという近未来SFぽい小説である。
発表された時期からすでに60年以上経った現在、まんざらではない部分もある。科学の進歩と反比例するように人間の本能が退化する気がして、少ししんみりしてしまう。
いまやこの女性の血液は、すべて、新しいものとかわり、彼女という存在に、新しい作用をおよぼすものと思われた。
比較的最初に書かれた主人公の妻(この女性)の様子に、科学の進歩と引き換えに人間へ及ぼす影響を考えさせられる。
ビーティよ、とかれは思った。きさまはもう、問題でなくなった。きさまはいつもいってたな、問題に面とむかいあうな。焼いてしまうことだと。そうだ、そのとおりだ。おれはいま、それを両方ともやってのけた。グッドバイ、ビーティ署長。
主人公は本を焼却するファイアマンであるにも関わらず、本を所持していて、上司(ビーティ)に詰め寄られる。危険を察知した主人公は、逆に火炎機で上司を焼き殺してしまう。「問題に面とむかいあうな。焼いてしまうことだと。」という下りは、断捨離を思わせてしまう。
60年も前に書かれている点に驚き。
今回は米英推理小説の訳が多い宇野利泰氏の古い訳で読んだが、新訳ではどうなっているかな。宇野氏の訳はグレアム・グリーンやジョン・ル・カレの翻訳をほどほど読んでいるけど… 今ひとつ説明調な感じがしている。
写してみると、ひらがなも多く、句読点の打ち方とか、パソコンではなく手書きの文かなと思った。西洋のこういう小説、わりと好きかも。