ひつじさんと対峙してみる
羊と聞けばすぐ「ラム?」とか「マトン?」を想像してしまう生活ぶりで、今年は人間よりまず動物”も”撮ってみたいと思ったりしてます。
しかし、動物と心通わせることはできるかな…。写真撮れるかな?
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
F・K・ディック(ハヤカワ文庫)
ジャケに惹かれてSFにも挑戦してみようかと
正直SFは好んで手を出す分野でなかったけど、「私を離さないで」(カズオ・イシグロ)とか「華氏451度」(レイ・ブラッドベリ)とか楽しめたので、どうかなと。
リック・デッカードという人物が主人公です。そのことより、ホメオスタシスとは何ぞや?
ネットで調べてると
「生体恒常性」ともいわれ、体を一定の状態に保つはたらきのこと。ひとことで言うと「体内環境の調整役」
と説明されていて、「自律神経」とも関連がある単語らしい。ぴったり当てはまる日本語が存在しないのは、そもそも日本にはそういう概念が存在しないからかもです。
「(略)あんまりひまがありすぎるので、なにかの趣味、飽きのこないひまつぶしの方法を持たないと、だれも生活していけないの。(略)」
暇を有意義に過ごせれば充実感一杯だけど、これはそれなりに難易度が高いと思う。
1968年にアメリカで刊行されたこの小説は、限りになく人間である人造人間と本物?の人間によるある種の騙し合い?なストーリーを展開させる。
「わたしたちの旅というのは、東海岸の精神病院からここへの旅だったの。わたしたちは精神分裂病患者で、うまく感情生活が送れないーーいわゆる感情鈍麻ね。それに集団幻覚にも罹っているわ」
本物?の人間以上に人間らしい感情を展開させ、人造人間が本物の人間を攻める(責める?)のであるが、自分は読めば読むほど自分の感情が混乱してくる気がうっすら感じた。
これまで、リックがほかのアンドロイドでたびたび目撃してきたように、生命力がすっかり流れ出てしまった感じだ。古典的な諦念。こうした機械的で知的な運命の受容は、本物の人間ーー二十億年の生存競争と進化をくぐりぬけてきた種族ーーには、とうていまねのできないものだ。
少しネタバレですが、リックは本物の人間です。
総括的なこの文章、正直自分にはすとんと落ちて来ない… 小説の結末の出来不出来を言うのでなく、もはや自分には共感できないほど、自分の気分は混乱していたのです。
刊行された1968年のアメリカでは、すでに人工知能とか薬による精神コントロールという科学技術の発展を容易に想像できる世の中だなと納得するものの、50年後の2018年現在、スマフォがますます実生活で欠かせないツールになってきて、人間ますます頭を使わなくなり、人として大事な何かを失ってしまうのかな?と妄想膨らんでしまった。
同じ妄想なら、自分は今後も頑なに昔の小説読んで昔の人間関係の妄想を膨らませようかなと思ってしまったのです。
この1冊でした
映画「ブレードランナー」の原作とのことだけど、映画はまだ見ていない。最近、映画を見たい!という気力がなかなか出てこない…。