マイ座布団のある暮らしは遠のきつつ
ふかふかな座布団に憧れを感じる。
本のタイトル | 夫婦善哉 |
著者名 | 織田作之助 |
出版社 | 新潮文庫 |
長編にできそう(と思う)短編集
有名な作品だから、あらすじは知っているけど… 原作を読んでみたいと思ったのは、NHKのドラマ(2013年8月2日[連続4回])を見たから。
あれまあ、もう7年近くも前だったのか!
森山未來と尾野真千子だから、自分の好みストライクなので面白くないはずはないよなと。
200ページちょっとに6作品、夫婦善哉は50ページほどの長さだった。個人的には、これほど少ないページ数にストーリを凝縮せずとも、谷崎の「細雪」のようにもっと薄く?読ませてくれても… というのが率直な思いだった。
- 夫婦善哉
- 木の都
- 六白金星
- アド・バルーン
- 世相
- 競馬
言うに及ばず、大阪を舞台とする作品集だけど久しぶりに大阪へ行きたくなるよなと。
夫婦善哉
NHKのドラマもそうだったけど、柳吉のB級グルメっぽい話が好きだ。
山椒昆布を煮る香いで、思い切り上等の昆布を五分四角ぐらいの大きさに細切りして山椒の実と一緒に鍋にいれ、亀甲万の濃口醤油をふんだんに使って、松炭のとろ火でとろとろ二昼夜煮つめると、戎橋の「おぐらや」で売っている山椒昆布と同じ位のうまさになると柳吉は言い、退屈しのぎに昨日からそれに掛り出していたのだ。
他の作品でも見受けられたけど、織田作氏は占術への関心も強かったのかと。自分もわりと意識する方だから、すっかり説得させられた。だけど、これほどまで「男はん(柳吉)」を否定されても、蝶子は諦めず添い遂げるところがいいと思う。
言い方悪いが、蝶子が執念を示さないと結局よくある浮気話でしかないよねと。
(略)蝶子は興奮の余り口喧嘩までし、その足で新世界の八卦見のところへ行った。「あんたが男はんのためにつくすその心が仇になる。大体この星の人は……」(略)
柳吉が放つ「おばはん、たのんまっせ」のセリフは見られなかったが、最後に座布団が出てくる。この辺など、数行で終わらせるのでなく、じっくり描いて欲しいのが読者(自分のこと)の感想っす。
(略)蝶子はめっきり肥えて、そこの座布団が尻にかくれるくらいであった。
蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝り出した。二ツ井天牛書店の二階広間で開かれた素義大会で、柳吉は蝶子の三味線で「太十」を語り、二等賞を貰った。景品の大きな座布団は蝶子が毎日使った。
木の都
余談だが、自分と同じ苗字(矢野)が出てきて親近感を抱いた以上に、味わい深い短編だった。
京都の学生街の吉田に矢野精養軒という洋食屋があった。
世相
自分は文芸評論家ではないので、客観的な説明などできないけれど、この作品は「夫婦善哉」とは別に織田作の思いが強く感じられた。
主人公に自分の思いが投射されているかは知らないが、主人公とのデートというこの一番に奇抜とまで言われる気合を入れてくる女性も大阪らしく、それでいて、最後にまたこの女性と再会する話は、その時その時の人間模様を読むことができたのがいい。
芸者上りの彼女は純白のドレスの胸にピンクの薔薇をつけて、頭には真紅のターバン、真黒のレースの手袋をはめているばかりか、四角い玉の色眼鏡を掛けているではないか。私はどんな醜い女とでも喜んで歩くのだが、どんな美しい女でもその女が人眼に立つ奇抜な身装(なり)をしている時は辟易するのがつねであった。
誰もが主人公が作家であることを意識し、小説のネタを提供しようとする。最後に登場するこの訳ありそうな風采上がらぬ主人も、結局訳があるのだが、織田作の人間観察も楽しく読める。そういう観点からして、他の作品より「世相」は読み応えがあった。
主人は小柄な風采の上がらぬ人で、板場人や仲居に指図する声もひそひそと小さくて、(略)聴けばもうそれで四十年近くも食物商売をやっているといい、むっちりと肉が盛り上がって血色の良い手は指の先が女のように細く、さすがに永年の板場仕事に洗われた美しさだった。
短命な作家だったので、ずっしりな大阪長編を読めないのは少し寂しい。