妙な透明感があってfragileっぽいむかしの硝子って惹かれる。だけど… ちょっとした強風でも割れそうようね。
本のタイトル | 硝子戸の中(がらすどのうち) |
著者名 | 夏目漱石 |
出版社 | 新潮文庫 |
漱石がつけたタイトルにしてはストレートだなと。他の作品タイトルは、単語はわかりやすいものだけど、小説の内容を要約する意味で示されるタイトルは意味深長で少し疲れる。
小説と随筆の違いを感じない
三十九に渡って朝日新聞に掲載された随筆らしいが、随筆という予備知識を持って読んでいたからいいようなものの、知らなければ小説と思って読んでいたかも。って、以前読んだことがある既読感じがあった。
七
漱石のとこに訪れた女性との人生相談「私はこのまま生きていていいのでしょうか?」に対する漱石の答えと、それに対する女性の思いらしいけど… いかに自分がお気楽娯楽に生きていること、かつ深刻に悩まず生きることができる幸せを感じた。
この話の前後にもいろいろな問答があるのだが、相手の女性のペースに陥らない漱石のペースが見事だった!
「生きるという事を人間の中心点として考えれば、そのままにしていて差支ないでしょう。然し美くしいものや気高いものを一義に置いて人間を評価すれば、問題が違って来るかも知れません」
(略)
「私は今持っているこの美しい心持が、時間というものの為に段々薄れて行くのが怖くって堪らないのです。この記憶が消えてしまって、ただ漫然と塊の脱殻のように生きている未来を想像すると、それが苦痛で苦痛で恐ろしくって堪らないのです」
三十七
自分は母親が24のときの子供だから、幼少期、わりと自分の母親が若い(瑞々しい)ことが嬉しかった記憶がある。
母は私の十三四の時に死んだのだけれども、私の今遠くから呼び起す彼女の幻像は、記憶の糸をいくら辿って行っても、御婆さんに見える。晩年に生れた私には、母の水々しい姿を覚えている特権が遂に与えられずにしまったのである。
結構、強いインパクトが残った文章だった。
新聞連載39回分だから、サクッと読めてしまう分量だけど、ときに印象の残る漱石の思いが語られているだけに… 今後も機会があれば拾い読みで再読する可能性大。