作家「室生犀星」の世界
かろうじて残っているような犀星が育った空気
まだ家々が少なく高い建物がなかったころは、もっと山や川が際立って見えたに違いないかな。そんな妄想を繰り広げつつ、雨宝院時代の描写もある自伝的な長編のこちらを読んでみた。
「杏つ子」
室生犀星(文春文庫)
三度目の正直で読み終えることができた室生犀星
室生氏に興味を抱いた主な理由は二つ。
一つは下記の詩の作者
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
石川啄木かと思っていて、ごめんなさい。
もう一つは、好きな歴史都市・金沢が誇る?作家であること。
しかし、これまで何度かその小説世界に臨んだものの、タイトルが自分好みでなかったせいか、妙に気乗りがせずに読了することができずにいた。なのに、ここまで来て読み進めることができ、しかもかなり楽しんで…。ようやく自分は何に惹かれたのだろう?
筆者は「あとがき」で
本篇をよくほぐして見ればおよそ二百篇くらいの短篇が群巒(ぐんらん)をつくり、女の半生というものも、つまびらかに描出されている筈であり、(略)
と記載しているが、600ページ&200短編は12章にまとめられている。ざっくり女の半生は三部にわかれていて、まず最初は主人公である娘・杏子の生い立ちと成長が懐かしい大正の雰囲気とともに描かれていた。
- 血統 第一章
- 誕生 第二章
- 故郷 第三章
- 家 第四章
- 命 第五章
この部分は、昔の雰囲気を楽しみにながら読み、第六章「人」の後半から、いよいよ杏子の結婚へと進む。
- 人 第六章
- 氷原地帯 第七章
- 苦い蜜 第八章
第八章「苦い蜜」の後半からは、杏子の結婚生活の苦境が出てくる…。現代の自分がおかれた環境と比較すると納得しづらいところもありつつ、それでも一貫して父・平四郎(筆者の思い)の言動に救われた感が残った。
- 男 第九章
- 無為 第十章
- まよえる羊 第十一章
- 唾 第十二章
現代の文章に読み慣れていると、読点(、)の連続で句点(。)が現れないなどというとこがまず気になるけど、それがまたいい味わいと個人的には心地よい。
(略)わかい父が何時何処で、どういう事情で何をしていたかは、判るものではない、父親という名前の偉大さは、何も彼も匿してしまわなければならなくなる。
ここは自分(平四郎および筆者)の出生にちなむ箇所で、少しミステリー風。次からは、今度は自分(平四郎)が父という立場になる。
父親という化け物がかたちを変えて、妻のほかにも一人だけ女というものを見たい考えと合致していた。
まず杏子を語る上での父・平四郎に形を借りて筆者自身の思いを語らせていた。
平四郎は凡そ美人というものが嫌いなのは、すぐそれを見る男の根性を卑しいと見る美人の傲慢さが、反射してくることだ、彼女にもそれがたくさんあって、平四郎はつい早く挨拶してわかれた。
なかなか父・平四郎(筆者)の女性を見る目は厳しい。読者からしてみれば、彼の好みが大体想像ついてくる。
そしてなかなか決まらぬ娘・杏子の結婚相手の男性については、次のように助言する。
(略)気にいる男というものはなかなか居ないものだね、ちょっとした違いなだが、引っかかりがつかないものらしい、まあ、せいぜい男をみることだな、僕からいえば知合いはどの男もすいせん出来ないから、却って昨日まで知らない男の方がいいと思うんだ、(略)
第十一章「まよえる羊」は、息子の結婚&離婚がメインだが、息子の嫁への思いが強い気もした。
「男女いずれも捕まえっこに始まる。捕まり損なってもいいじゃないか、間違いだらけの人生に男女二人だけがきちんと箱詰めになる理由はない。」
この辺りを妙な理詰めで攻める気はない。ただただ男女関係への平四郎の語り口に救いを感じる。
かつて杏子が見合いでふった相手に後日出会った際、ふった相手に対して…
「騙したみたいであやまってあげたいわ。」
「女はその気持を失ってはならないものだ、それは結婚したよりも、もっと美しい。」
えげつない言い方をすれば、見合いで天秤にかけて振った一方を後々懐かしむのだが、情けをかけるような気持ちを抱く娘の姿勢に、父・平四郎は共感を抱いている。この辺は、若い時分に筆者が経験した(ふられた)ことが反映されているらしい。
要するに、男を振った後々でも愛おしく覚えていてくれることが、筆者(男)は嬉しいと。
一方、小説世界で娘は結婚生活を持続させようと感情を殺してみるものの、
杏子は可笑しい切ぱ詰った、男の呼吸ぐるしさを掻き分けて見た。そこに空気のようなものを甘くそめようとする、摩擦の努力があった。全くあじわいのない空気を非常にあまくして見ようという、のぞみが見られた。
もはやお互い何の未練も感じられなくなる。
「結婚前の男に会うと、たいていの女はぷんとして通り過ぎてしまうが、それをしなかった君はいい事をしてくれたね、女は自分で振った男に、心で、済みませんと何年たっても言葉でそういい現わすことは女自身にも、男にもありがたい事なんだよ、それだけで女はさらに美しくなる、……」
また平四郎の存在を借りて筆者の理想を述べ、最後に「女は損ね。」という娘・杏子に
「それはどちらも損なんだ、だが、女は生涯の損をしなければならないのに、男は一時の損をするということの違いの大きさがある。併しそれも何百万人の女の苦しんだみちで、どうにもなるものではない、厭なことだが、こいつが一等苦しみなんだ。こいつがあるので芸術とか学問とか映画といかいうものが作り出されるのさ。まあ、くさくさするな。」
そうそう、この写真の作家であることも自分には刺さっていた。
室生犀星と猫のジイノです。火鉢に手をかけた猫をながめる犀星の気持ち、わかります。動物詩集に「猫のうた」という詩がありますよ。 #作家と猫 pic.twitter.com/hfGvXp3BaB
— 愛書家日誌 (@aishokyo) 2015年9月9日
他に「あにいもうと」「蜜のあわれ」などもあるので、引き続き読み進めたい作家でもある。きっかけがつかめて嬉しいよ。