もっと着るものに敏感であってもいいのかなと
正直なところ、店の前を通るたび「誰が買うのかな?」と思っている。
しかし、こういう反物を仕立てて実際着て楽しめる人の生活は羨ましくも思う。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「もめん随筆」
森田たま
(新潮文庫)
明治時代の勝ち組キャリアウーマンキャラを彷彿
著者のお名前も存じなかったのだが、きっかけは古書店で見かけて手にしただけ。
中身を見ると「芥川さんのこと」と芥川龍之介についての記述があり読んでみたくて購入。50に近いエッセイが収録され、300ページ足らずなのに内容が濃くてなかなか読了できずにいた。
それでいて、芥川氏の記載があったのは2つだけだった。
- 芥川さんのこと
- 七月廿四日
7月24日は芥川氏の命日。これはこれで、満足に読めたけど、逆にそもそも著者はどういう人物なのだろう?と疑問は広がった。
wikipedia で見てみると
森田 たま(もりた たま、1894年12月19日 – 1970年10月30日)は随筆家。 元参議院議員(1期)。長女はデザイナーの森田麗子、息子に映画プロデューサー森田信。
とある。文才のあった方のようで、それがきっかけで、戦後は女性の地位向上?みたいな活動された方なのかなと推測した。
1894年なら明治27年生まれで、北海道でわりと裕福で先鋭的な家庭で育った感じが読み取れた。それでいながら、お仕着せの結婚に反発してか、上京し独立心のある人のようにも当エッセイ集を読んで思ったけど…
- 屋島の狸
(略)どうしても淡淡たる夫婦の間柄というものは飲みこめず、わざわざ東京から追ひかけてきて嫌はれてゐるとより見えない細君のために、満腔の同情を寄せるのであつた。
ここで「細君」とは、著者のこと。
- 柳は風の吹くままに
さてその廿歳の頃、男は専横極まりなきものと思ひ暮しながら、ふとしたもののはずみから私はふらふらとその憎むべき相手と結婚してしまつた。
ここで「私」は、著者のこと。
- 愛情について
私なども母親には気に入らぬ娘の一人で姉が十九で病死しました際、ああよい子は死んでわるい子が残つた、お前が姉さんの代わりに死ねばよかつたのにと母から云われました一言が、うら若い少女の胸にはどれ程つらく切なく応へましたことか。
ここで「うら若い少女」は、著者のこと。
- もめんの着物
肌寒いある夕方道ばたに行きあうと、ほつそりと細おもての美しいおくさんは両の袖を胸にかきあはせて、おさむうございますことといはれた姿が、清方の一枚繪でも見るやうに清清とうつくしかつた。かきあはせた両の袖がぢみな染絣であつたのに、まるで切りたての結城のやうにきりりしやんと着てをられたのである。
(略)木綿の着ものはあのやうな夫人に着られてこそ初めて生きがひを感じるであらう。私には資格がない。
最後の謙遜が余計かな。
「私」(著者)も十分木綿の着物を着ることができると想像する。
裕福で苦労知らずなのか、実家も嫁ぎ先も没落して苦労をするのか(失礼ながら他人様の)経済状況は不明だけど、夫婦や親子、姉妹または男女の些細な機微を描写する筆力は読ませる!と楽しめた。
とくにそれが、着物を通じて人間模様を語らせるところは、明治女性の真骨頂かなとも。
幸田文女史を思い出した。
むかしは、着ているもので階級なり、その人の人生がわかる時代だったんだろうなと。自分ももう少し、着るものに気を配りたいとか思いつつ、エッセーに描かれる時代(大正~昭和初期)を想像してみた。それなりに、楽しいこともあった時代なんだろうなと。
この1冊でした
自分が読んだのは新潮文庫だったけど、こちらは中公文庫で!