与美夕照(よみせきしょう)って期待満載で向かってみたが…
東田端鉄道八景とあるので、鉄子ではないが土砂降りのなか期待満々で行ってみた。
案内に
北斗星は不可能だが、雨に打たれつつ踏切を通過する素敵な電車の光景でも… と思っていたら、あったのは(いわゆる)鉄道モニュメントだけだった。今ではすっかり高架化されたいるようだ。
ということで、何故(わざわざ)田端を訪れたのかは、こちらの書籍を読んだから。
「田端文士村」近藤富枝(中公文庫)
それにしても、モニュメントは
とのことで、意外に大きかった。
がっかり名所かもしれないが、これで轢かれることを妄想したらすごく怖くなるほどの迫力あり。
室生犀星と芥川龍之介の仲
マイブームである金沢にある「室生犀星記念館」を訪れて、東京の田端のことを知り、いきなり自分のなかで田端の存在感が増した。
ということで、これまで縁のなかった東東京を訪れるべく、田端のことが凝縮されたこの1冊を読んでみたのである。
前田百万石の城下町であった金沢は、土地を挙げて美術愛好家が多く、(以下略)
いきなり金沢の言及があった。他の土地に比べ金沢出身の芸術家は多く上京し、そのなかでも田端に住居を構えたことがきっかけで、室生犀星も住み着いたらしい。さすが加賀百万石。
水谷八重子が舞台で評判をとっている「あにいもうと」を読んだが、夢見がちの少女であったそのころの私にとって、ザラザラした不愉快な小説であった。
ちょうど山田洋二監督で大泉洋&宮崎あおい主演のテレビドラマが放映された。まだ見ていないけど…
室生犀星著書「あにいもうと」は確かにザラザラ感のある小説なのだが、自分はわりと気に入っている。実はザラザラ以上に(室生犀星解説者によれば)鬼気感があるから。ドラマはどうかな?
さて、この1冊は室生犀星の伝記でも田端に住み着いた芸術家や小説家の人間模様ではない(気がしている)。むろん、そういう雰囲気はあったが、本当に描きたかったのは、芥川龍之介のことだと思っている。
下島の文学への関心は、その幼年時代に伊那谷を乞食して歩いていた、井月という俳人の日常を見聞していたことが、遠因となっている。
実は自分はこの井月という俳人も気になっているが、今は深く触れない。ただ、井月を世に紹介している下島とは芥川の主治医でありながら、芥川の力も借りて松尾芭蕉に匹敵するであろう(しかし、芭蕉ほど世に知られていない)俳人を紹介した経緯が綴られていた。
自分のなかで点だった人々(室生犀星、田端文士、芥川龍之介、井月)が繋がってゆく。
芥川は田端の王様であった。眩い存在であった。誰もが彼を愛さずにいられないほど彼は才学に秀で、誰にも優しく、下町人特有の世話好きの面もあり、懐かしい人だった。その代り、彼の前に出ると、何時の間にか自分は吸いとられ、新しい人間に生き返らされている。
芥川の有名さを頭でわかっているものの、正直むかしからその作品を読んでみても、自分はどうしても腹落ちせずに今に至っている。今回、彼(芥川)が田端文士たちといかに付き合い、そして死んでいったかを垣間見ることができた(気がしている)。
「とうとうやってしまいました」
と芥川の伯母さんが広瀬雄の家へかけつけて訴えるころ、夕刊のない日曜日であったにもかかわらず、田端村には芥川自殺のうわさが波紋のようにひろがっていた。
わかっていても、この文章を読むと少なからず衝撃がある。近年、やたらと有名人の死亡ニュースを耳にするが、恐れていたことが実現してしまった当時の関係者のダメージが妄想できそう。
姦通の相手である秀しげ子の動物的な欲情と、家庭にまでズカズカとふみこんでくる神経の図太さには、戦慄していた龍之介である。心弱っていた彼には、このことも、家庭の暗さも、コミュニズムへの恐怖も、創作のゆきづまりも、すべてひっくるめて死への誘いと変り、自分で肉体を衰弱消耗させることに努めたとより思えない。
自殺した昭和2年という時代も、辛そうな時期だなと… しみじみ感じる。生きながらえるのも、結構しんどいよね。
今回、田端を訪れたついでに寄った駅前にある「田端文士記念会館」には昭和20年に空襲で消失した芥川龍之介の住居の復元模型があった。庭も広くなかなか精巧にできていて、夏目漱石記念館でみた漱石の住居より広くて立派であった。
約193坪(約640m2)らしいから立派でしょう。
こちらがオープンしたら、また田端に行ってしまうかも。
なお室生犀星は、この龍之介の自殺がきっかけで、田端が辛くなって?馬込に移住したらしい。もっともっと芥川龍之介のことを知りたくなっている。