隅田公園の流鏑馬は浅草神社の神事とのこと
東京(でも多摩地区)育ちの自分だが、長年浅草=葛飾柴又と思ってて、浅草寺と聞くと寅さんを思い出してしまう。それほど、誤って浅草を認識していたが、たまたま行ってみた日は流鏑馬が行われていた。これで自分にとって、浅草=流鏑馬という認識ができた。
だけど、浅草寺(せんそうじ)ではなく浅草神社(あさくさじんじゃ)の神事なので。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「小説永井荷風」小島政二郎(ちくま文庫)
荷風が長年通い続けた洋食屋「アリゾナキッチン」は有名。(私ごとですが)かつて弟がこの並び?にある「暮六つ」という乙な名前のフグ屋だかでバイトをしていた。なぜかと言えば、彼は立教水上スキー部に所属してて、そのOBからの紹介と言っていた。ネットで調べてみると、このアリゾナも立教水上スキー部OBというから、そういう関係だったのか!
今となっては、合点がゆく話がいくつかあり、1回は行ってみるべきだったかなと。それほど、浅草への興味が浅くて今更ながらに後悔。さて、前振りが長くなった。
荷風のエゴイスティックな側面に自分との共感をば
永井荷風の著作を読んだことがあるものの、実はなかなか自分に響いて来ない。なぜ?
それでも「江戸の何か?を追い求めている」ところに惹かれ、自分と同じような「エゴイスティック」な感覚がありそうなとこに親近感を抱き、どうにか荷風の世界を感じてみたい… と指針を求める下心付きで読んでみた。
意外に読みにくく時間をかけて(わりと真面目に)読んだ。勝手に自分の下心を満たすようなところを拾ってみると
美しいと言っても、廃市の匂のする類廃的な美しさだ。
そうだ、自分は荷風にこういう世界を期待している。
なお、著者の小島政二郎氏は荷風に憧れ慶応大学に入学したものの、その薫陶に触れることなく荷風は大学を去った。にも関わらず、荷風を慕い続けた結果、この愛憎表裏一体な作品を生み出した(ようだ)。愛の裏側に憎しみがあるように、ネガティブな内容も含んでいるので、当初は荷風の親族から出版NGと言われ、まあとにかく2007年に刊行された。今回はそれが改めてちくま文庫におさまったもの。
もはや言うまでもなく、荷風は超エゴイスティックだから、ネガティブなことが多くても驚かないよ。それでも、著者は最初に
無鉄砲な勇気と、一種の情熱と、こうと思ったことは必ず実行する青年らしい実行力と、この三つのものを持っている荷風(略)
とポジティブな一面をあげつつ
そとに出れば二十日鼠だが、内にいればライオンの気の弱さなのだ。
せこい一面も言い切っている。
そして、最終的に著者が荷風作品を見切った理由を、自分は個人的に次にあるのではと総括した。
構想も大事だが、それよりももっと大事な「人生に触れる」ことを忘れてしまったのだ。その代表作が「歓楽」であり、「祝盃」であり、「すみだ川」である。
なるほど、もはや荷風の作品に「人生の機微」を期待してはいけないのだなと。
これが、荷風の文学の秘密なのだ。(略)厭味とポーズと嘘と、この三つのものがうまく渾然として一体となった時、そうだ、もう一つ忘れてはならぬのは彼の文章の魅力だ。
戦中の物資不足の時代を除き、親の財産があったので荷風は何ら生活のための苦労をする必要はなかった。そういう、自分勝手で気ままな超エゴイスティック、それでいてせこい性格の人物が、生活のためでなく、自分の興味のためだけに描いた作品のどこに魅力があるのだろうか。
その魅力とは「厭味とポーズと嘘と、この三つのものがうまく渾然として一体となった時」というが、
荷風は人生を「物語」にする作家であった。男にも、女にも、人間的に、性格的に肉迫しようとする興味はなかった。しかし、風俗や、小説が展開する場所、風景には、異常な興味と執念とを持っていた。
「異常な興味と執念」があったのは、結局のところ、風俗や場所、風景だったんだなと。自分も今の東京と比較して、かつての江戸や明治〜大正時代にあったそれらに関心はあるから、どうにか改めてまた荷風に取り組めるかなと(少し)思ったりした。
それにしても個人的に気になるのは… やっぱり自分同様、独りエゴイスティックに生きているその生き様なのかもしれないけどね。
これから、もう少し浅草とか葛飾柴又とか、行ってみたい(かも)。
この1冊でした
カバー装画が「永井荷風」となっているが、もしご本人が描いたものなら、なんと素敵な…。雰囲気がある。芸達者な、そういうとこが惹かれる。