「円朝」小島政二郎


古典落語 まずは三遊亭圓朝からかなと。

新宿末廣亭」最近ちょっと混み始めている

自分の広くはない行動範囲に本格的な寄席存在してて幸せ(少しオーバー)に思っているが、興味ある演目は意外に混むのが少し不満(だったり)。

お江戸文化を知りたくて、浮世絵とか歌舞伎とか見ていると共通して出てくる『牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』と円朝モノが出てくるのだから知りたい。ということで、どこからでもよかったのだが、こちらを読んでみた。

円朝(上・下)
小島政二郎河出文庫

長生きだった小島政二郎

なかなかに読みやすかった。しかし、自分にとっては(舟橋聖一の小説と同じように)口当たりがよく?読みやすい… というのは、逆に何も残らなかったりする(失礼)。しかししかし、読了は悪くなかった。

上で30章、下で28章から成っている。

見上げる頭の上には銀杏の大木が黄いろくなった葉を一枚も散らさず付けて、明るい日を浴びて突っ立っていた。彼は、この黄いろい葉の美しさを一生忘れないだろうと思った。それほど美しかった。

イメージつきやすいのだが… 作者が登場人物の誰に肩入れしているか、読んでて非常にわかりやすかったりする。

一方、古典落語の良さを時代とともに肌で知っているせいか(推測)円朝落語が出来るまでの過程もなかなかわかりやすい。

卑屈で、陰気で、陰惨で、むごたらしくって、そう云った境遇、人間的関係、男女の語らい、幽霊になって恨みを晴らさずにいられないような女の執念、そんな境遇にうごめく男や女の姿が、彼の頭の中でからみ合い、のたうちまわった。

そして「同朋衆」という江戸時代の官僚の描写もわかりやすく、個人的にはこういうとこが妙に興味がわく。現在の企業に置き換えれば、総務部みたいな感じなのかな(失礼)。

円朝は、おさとがお同朋衆という特殊な父の職業の感化を全身に受けていることを知って、こわいくらいになった。簡単に云えば、お同朋という職業は、何も生み出す職業ではない。何から何まで人からもらうことでささえられている生活だった。

小島政二郎は、1894年(明治27年)に生まれ、1994年に亡くなったので、ちょうど100歳まで生きた人で、彼が子供の頃にはまだまだ江戸を知っている人が周囲にいただけに、その時代の小説はとても現実味がある。

なので、登場人物を描かせるより、お同朋衆のことなど(小説世界のなかでの)小道具の描写の方が読み応えがある。

下巻にはいると、バカ息子の話が多くなり自分の興味は減衰。

「要するに、女道楽の方が始末がいいな。弟子たちを見ても、女で一生を棒に振ったやつは少ないが、酒でダメになったやつは実に多い。(以下、略)」

「芸の肥やし」と言うやつですな。

近ごろのお客さまは、芸を聞きに来るのではなくって、安いお宝でワーッとにぎやかに芸者でも上げて騒ぐような気持で寄席へいらっしゃるらしい。そう言えば、あっちの寄席でもこっちの寄席でも、若くって綺麗な女芸人がふえたこと。(以下、略)」

こうして本物?というものが消えてゆくのも、世の常かなと。

車力の方でも、ここで一ト休みする。そういう人たちのために、砂糖ッけのちっともない塩餡の大福とか、今坂とか、餅を鉄板の上で焼いて醤油を付けたのとか、そういうものを売る大道商ン人がそこらに屋台を出していた。

「今坂」って? とネットで調べてみると、今坂餅という和菓子の部類のものが存在したらしい。「今が盛り(人気)」という語源で、大福を大きくしたものとか。最後の醤油をつけたのは、磯辺焼きかな?

こういう食べ物の描写も自分は好きだ。

ということで、ツラツラと円朝と息子の女関係を軸にしたストーリーは流れるのだが、ところどころお江戸の雰囲気も感じられた。

まだまだ、この作家の

は読んでみたいと狙っている。

この1冊でした

円朝〈上〉 (河出文庫)

 

円朝〈上〉 (河出文庫)

 
円朝〈下〉 (河出文庫)

 

円朝〈下〉 (河出文庫)