帽子にバック、大ぶりのアクセサリーだけど足元は足袋
自由に着てよいと思う。いろいろ素敵に撮ってみたい。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「きもの」幸田文
後1回着たら袖を切ろうと思っている振袖があるのだけど、どうしましょう…。
大正時代、着物を通して人生語る小説
幸田文は幸田露伴の娘で明治生まれの女性なので、一生着物を着て生きた方かもしれない。
以前読んだ記憶があり、近ごろ(自分で着物を着ようとは思わないけど)着物を着る女性の写真を撮りたいと思うので、再読してみた。物知り顔のおばあさんが、著者に代わって大事なことを語ってくれるのだが、こだわりの強い主人公の末っ子三女に
お姉さん達は、いい恰好ならそれでいいんだけど、おまえさんはいい恰好より、いい気持が好きなんだよ。いいかい、いい気持っていうのは、自分だけにしかわからないことで、人にはわかりはしない。だから、さっさと一人で着る稽古しないと、われ人ともに迷惑する。
と、着物の着方から説教をする。そして、結末になるとこの文に呼応するようまた
「おまえさんはよく我慢するよ。(略)でもあたしはそこが、たまらなく可哀想で、そして心配なんだがね。(略)出来ない我慢もあるものさ、そうなれば破裂して、悪名だけ残る。お姉さんたちははじめから我慢なんか嫌いな性分だから、破裂する心配はいらないやね。」
派手好きな姉さん達と比較し、三女を哀れむ。この姉さん達の派手好きを表現するため、細々着物ネタが出てくるが、着物の知識がない自分のテンションはいたって平坦のままだけど、
「人は大概みんな、木綿で育って、木綿にくるまれて生きていくんだね。そこいら見まわしてごらん。たいてい木綿の顔をしている人ばかりだろ。」
「絹にくるまって生きていく」に対比するよう木綿で説明される。確かに、自分は木綿好きだし木綿の顔だと思う(絹ではない)。とにかく、人間描写の鋭い!女流作家なので、好みや着ている着物を介在して人間や人生を語ってくれる。
明治の女性が描く小説だから、違和感を覚えるところもあるけど、
結婚しようとする男女は、こんなに急速に作用しあうものか、と不思議におもうほどよく似ているのだった。
わりと現在でも通用する描写もある。「結婚したいオーラが漂ってない!」と弟に指摘された自分、結局作用しあうものがなかったのか!と今ごろ理解してしまった。