実は杉並区とゆかり深い作家らしいのだが、自分のうちではどうも岡山の作家というイメージが強くて。しかし、読み進めてゆくうちに、地元の地名が出てくると気持ちが変わる。
一般的に通好みと作家と思われているが、それはそれで正しいと思う。自分なりに正確に申せば、「え!? そのネタで短編1つ書いてしまうの?」という、気迫と技量なのかも。それと、たとえ金銭面でのゆとりがなくても、酔いを愛して日常生活のちょっとした機微を文章にするところなど、自分好みだなと思った。
ということで、たまたまた入手できた旺文社文庫2冊を紹介。
表紙の毛織物は、民芸調だけどなかなか似つかわしい。表紙の毛織物は、民芸調だけどなかなか似つかわしい。
「耳学問・尋三の春」
タイトル | 「耳学問・尋三の春」 「茶の木・去年今年」 |
著者 | 木山捷平 |
出版社 | 旺文社文庫 |
目次は下記のとおり。
- うけとり
- 子におくる手紙
- 一昔
- 出石城崎
- 尋三の春
- 抑制の日
- 山ぐみ
- 氏神さま
- 幸福
- 春雨
- 玉川上水
- 耳学問
- 竹の花筒
山ぐみ
一番印象に残った作品はこちら。
もともと、この妻は田舎というものを内心軽蔑しているのである。軽蔑しているというのが言い過ぎなら、この女は生まれつき田舎というものを知らないのである。(略)彼女は子供の耕一こそは一高から帝大を出し、内務省あたりの高等官にすることを夢想している。時々、それが口の端にでる。そのたびに私はぞっとする。
これが多少なりとも事実に基づくものか否かは論外だけど、こういう視点が面白いと思い、それを踏まえたオチも良かった。
玉川上水
太宰治のことを語っていた。こういう作品を読むと、杉並区ゆかりの作家だなと思う。
「茶の木・去年今年」
目次は下記の通り。
- 廻転窓
- 苦いお茶
- 市外
- 豆と女房
- 川風
- 茶の木
- 弁当
- 月桂樹
- 去年今年(こぞことし)
- 釘
- 軽石
- 点滴日記
自分的には、満州に赴いた時に縁があった人物との思い出を語った「苦いお茶」が一番印象的だった。
他、このような作家はとかく奥さんを題材やモチーフなど、都合よく奥さんを利用するなーと思ってしまった。奥さんにしてみれば、そこは生活もかかっているのか愛なのかは不明であるが、良くも悪くも(作家の都合に応じて)自分描かれて割り切れるのかな?とか心配してみたり。
昨今のSNSだって、結局身近な人を良くも悪くもネタにしているのを目にすると、結局のところストーリーはそういうところから生まれるということなのかも。
軽石
一例を挙げると
ところが何カ月かたつうちに、焚火の材料が不足して来た。紙屑は毎日何か出るものだが、出ない時にはその日の新聞を燃やしても用は足りるが、紙だけ燃やして紙が灰になるだけの物足りなさと言ったらなかった。食べ物にたとえて言えば、流動物だけ食べている重病人みたいな感じで、歯ごたえのないこと夥しかった。
という具合に、こういう何気ないネタで小説を書いてしまう。
何もない時代は、焚火だけでいろいろ感じることができるのも、ものや情報が溢れる昨今からすれば乙ではないかと思うよ。
モームやモーパッサンに比べれば、オチも大したことはないのであるが、読後感は悪くない。むしろ、自分が生まれたころの昭和の時代はこの程度のことで小説できてしまうのか!みたいな感じである。
「大陸の細道」
欲しいなーと思っていたら、なんと積読の中に埋まっていた。
一応積読目録を作っているのだが… 棚卸ししないと、ダブって購入しそうだと大いに焦る。調べてみると旺文社文庫としては、もう1冊「長春五馬路」があるようだ。欲しい(多分積読には埋まってない)。