「そばと私」季刊「新そば」


戸隠の蕎麦屋でザルが天日干し

ちょうど新そばの時期に長野県戸隠を訪れ、蕎麦屋に連れて行ってもらったときの一枚。

自分も、おうち de ざる蕎麦のマイ・ざるが欲しい。

そんな蕎麦好きなら気になるこちらをば紹介。

そばと私
季刊「新そば」編(文春文庫)

好きでもそうでなくても語れるのが蕎麦

この手(?)の文庫本は敬遠していたが、ここ数年来の自分のうちわきつつある「お蕎麦が気になる」気持ちに押し切られて、読んでみた。

「全国新そばネット」という団体があるらしい。

www.meiten-net.com

そちらの季刊誌に寄せられた文章を再編成されているとかで… このような再編成モノはわりと飽きが来てしまい読了できずにいた自分だが、こちらは意外にも楽しく読み終えることができた。それほどまで、自分の蕎麦への思いが高じていたか、または内容がよかったのか。

主に文化人(スポーツ界からは衣笠祥雄氏が!)・著名人が次のような観点からそばについて語る。

  1. そば好きが愛する理由(わけ)を語る
  2. そばの興味は薄いが関連する思い出を語る
  3. そばの興味は薄いが関連する蘊蓄を語る
  4. なぜ人はそばを語るかを語る

やっぱり1番目のパターンを興味深く読めた。

「蕎麦碾(ひ)く音」飯田龍太

すでに蕎麦の実をひくところから、美味しい蕎麦は始まっている。こういうプチなドラマがあるから蕎麦は語れるのかもしれない。

もっぱら手伝いの村の娘さんや男衆の仕事だが、特に念入りに作る必要があるときは、祖母か母が臼を廻した。(略)しかも雑念があってはいけない。若い娘や年頃の村の衆には、あれこれと思いなやむことが多いだろうから、ついついうわの空になって臼を廻す。荒碾きになる。

「そばの哲学」ジェームス三木

自分にとってのジュームス三木は朝ドラ「澪つくし」の脚本家として気になっている。それほどまでに、中学生だった自分はこのドラマにはまっていたのだが、

食物には、ドーナツや饅頭のような円状のものと、そばに代表される線状のものがあり、円状食物はどこから食っても同じだが、線状食物にはきちんと、始まりと終わりがある。これは人生や寿命を、暗示しているに違いない。

結構哲学者なんだなと、たかが蕎麦なのに!と楽しく読めたりしている。

「こだわり」丹波哲郎

本むら庵はうちのそば?でもあるから、丹波氏も近所に住んでいたのか!と本文と関係ないところで驚いている。

その店は、自宅のすぐソバにあるそば屋「本むら庵」(杉並区上荻)だ。いつ行っても満員で、しょっちゅう行っているわたしといえども、なかなか予約を受け付けてくれないから頭にくる。

こちらのお店はお蕎麦だけでなく、雰囲気もよい。自分も気に入っている店である。

「祖母の蕎麦が原点」三波春夫

そしてまた演歌歌手だった三波春夫も語る。

「おばば、早く廻した方が一杯出来るじゃないか」という私に、祖母は静かにほほえんで、「ゆっくり曳いたほうがいいそば粉になるんだよ。世の中はのう、早くて良い時も、悪い時もあるもんだよ」

先の歌人飯田氏の語りと通じるものがある。どうやら美味しい蕎麦を作れるのは、人生のエッセンスを知っているおばばらしい。

自分もむかしは蕎麦よりうどん派だったが、自分の味覚にはまった蕎麦を食べたときから、今ではもう常に蕎麦を探していたりする。

https://twitter.com/1book1photo/status/1015212882684858368

安くても美味しい蕎麦があるのが幸せ。まずい蕎麦ならそば茶の方がいい。それと、そば粉のクレープも最高に好きだ。

この1冊でした

そばと私 (文春文庫)

 

そばと私 (文春文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2016/09/02
  • メディア: 文庫