怒っている葡萄なんて見つからなかった
長らく「井伏&太宰」にはまっていたので、全く毛色が異なるものを読みたかった。長らく積んでいたこちらに挑戦。
画像の葡萄は怒っているようには見えないけど、長年の疑問が解明できつつあるのが嬉しい。
初めてタイトルを知ったのは、高校受験だか大学受験のころだったかも、葡萄は何に対して怒っているのか、ずうっと知りたいと思っていた。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「怒りの葡萄」(上)
スタインベック(新潮文庫)
訳者はこの方、大久保康雄氏。
かつて新潮文庫の英文モノは全てと言いたいほど、この方のお名前。今となっては、この方の訳も少しバタ臭いかな。
って、何がかと言えば… 田舎っぽさを演出するため、訛った語り口調をさせるのだが、女性や若い男子にその口調はないかな?みたいな。逆に、それがいいのかもですが。
葡萄は何に怒っていたのか?
オリジナルのタイトルもずばり「The Grapes of Wrath」、作家のジョン・スタインベックは1962年にノーベル文学賞を受賞していた!(ノーベル賞作家でしたか)
初版は1939年というから、日本だと昭和14年かな。上巻は世界恐慌と重なる1930年代、オクラホマ州で土地を奪われた三世代12人+αが仕事を求めてカルフォルニアへ向かうロードムービー調なのだが、正直笑える類のものではない。
+αのうちの1人、元説教師の語り
「わしはもう、ろくすっぽ説教はやらねえだ。このごろの人間には、もうあまり霊はいねえし、もっと悪いことに、わしのなかにも霊がいなくなっちまった。(略)」
全体の基調には宗教色も漂わせているのだが、それをあえて否定することで漂わせる。この元説教師も下巻で重要な役割を担う。そして、土地を出て行く理由はトラクター。
おまえたちには、この土地から出て行ってもらわなければならないだろうな。トラクターの鍬が、この前庭を通ることになるからね。
トラクターでの耕しを、土地への強姦に例えての描写もある。理由はさほど重要でなく、出て行かないと物語は動かないので。あえて人間の本質に触れつつ、ロードムービーを映し始めるのだが、
「人間ってものは、一つの場所に住みなれると、なかなか離れられねえもんだよ」
刑務所から出所したばかりの主人公は
「(略)あそこじゃ、自分がいつ出所できるかなんてことは考えちゃいられねえだよ。そんなことを考えたら気が狂っちまうだ。だから、その日その日のことだけ考えるようにするんだ。(略)」
ロードムービーの到着点を夢見て先に進むのだが、弱い人間から壊れて行くのが、この物語の怖いところか。
半分くらい過ぎて、ようやく登場人物(主人公の家族)の具体的な説明が始まる。
あまりに能率的なので、土地のもつ、また土地の働きがもつ驚異など消えてしまうのだ。そして、そのような驚異の心とともに、深い理解や親しみの心も消えてゆくのである。
要するに土地を追われ、新しい土地を求めて移動するのだけど… 「新天地を求めて」って日本にはなかった(過去形)タイプの小説だと思った。
背後にある恐怖から逃亡する人々ーー彼らには奇妙なことが起る。あるものは、あまりに苛烈であり、あるものは、あまりに美しい。
辛い話が多く読む方も少し辛い。まあ、美化してくれる方が少し救われる。
西部の土地は、いまはじまりつつある変化におびえていた。西部諸州は、雷と嵐の前の馬のようにおびえていた。大地主たちは、その変化の性質はわからぬながら、おびえている変化を感じとっていた。
とにかく人間を追い詰める。
こうして盗んだ土地を、彼らは鉄砲でまもった。(略)メキシコ人は弱いうえに腹もすかしてはいなかった。土地をほしがるアメリカ人ほど無我夢中でほしいと思うものは、彼らには、この世で何一つなかったから、とても抵抗できたものではなかった。
で、葡萄はいつ登場するのか(葡萄は多分ロードムービをしている人たちなのかな)?
葡萄は何を怒っているのか(これだけ追い詰められるのだから、怒りたくもなるかな)?
目下、頑張って下巻読んでいる。
同じアメリカ人ノーベル賞作家でもあるヘミングウェイやフォークナーとは異なる、Theアメリカンな(アメリカらしい)小説かなと、辛いなりに興味深く読んでいる。結構、結末も気になっている。
是非、他のノーベル賞作家の作品も!
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