石井桃子女史とJR中央線荻窪駅南口
いつまでここに踏切があったのかな?
だんだん、踏切も遺物になりそうだね。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「みがけば光る」石井桃子(河出文庫)
「くまのプーさん」を訳した人のエッセイ集
「ノンちゃん雲に乗る」の作家でもあるが、今回読んだのは大人向けのエッセイ集。
ちょと、修身(もはや戦前の教科)のようなタイトルが自分にとっては不満だけど、内容は前向きで典型的な負け犬女の自分には「まあ、そんなものよね」と読んでいて気持ちが良い。
雑誌や新聞に書いたものの編集だから、どれも短いので拾い読みをしても楽しめる。コーヒー&活字中毒の自分、たまに何か文字を読みたいときには、このようなエッセイ集が手っ取り早くていい。そうでないと、すぐTwitterとか眺めてしまう(これはこれで楽しいが)。
そんななか、ちょと気になった2つを紹介。
- 「南口の亡霊。」
JR中央線荻窪駅南口のことで、桃子さんの住処がある。自分、今は北口に住んでいるが、ここに来る前は南口に住んでいたので長年親近感のあるところ。
これは雑誌「東京人」に寄せた荻窪駅周辺の変貌ぶりを綴ったものだけど
青梅街道は、チンチン電車と別れを告げると、少し駅寄りで線路をつっきり、踏切りを渡って北口へ通じていた。
この踏切がこの写真に違いない!かな?と。
「亡霊」というほど、奇怪な内容ではないが、かつてはこの南口と北口をつなぐ踏切があって… というむかし話。近所に住んでいるので、常々気になっていただけに、ここに踏切があって、なんとなくもっと田舎だったころの杉並を想像してみる。
- 「太宰さん」
「走れメロス」に始まって、何作品か太宰治を読んでいるものの、どうしてもしっくり来ない。だけど、果敢にもっと太宰を知ってみれば楽しめるのではないかと思っている。
すると、井伏さんの話してくださったのは、私には奇怪な事実だった。死の直前の太宰さんのまわりには、いろんなものがとりまいていて、井伏さんは、とうとう太宰さんに近くこともできなかったというのである。
長年親しく(近所にも住み)付き合っていた井伏と太宰について、桃子女史の証言。
芥川の夫人も語っていたが、本人がもう死ぬことで頭がいっぱいになると、もう周りでは止められなかったりするようで…。ネガティブな話題だったけど、不惑なゾーンにハマらぬよう人生注意したいなと痛感した箇所だった。
ちなみに、勝手に行間を読むと、この「いろんなもの」というのは結局のところ… 女性問題なんだろうなと。
自分が住むこの土地は、文化や歴史が残っていたりするので、読書をしつつ楽しんでいる。
(宣伝で恐縮だが)ライターさせてもらってます! ので、よろしければ是非に。