アーウィン・ショーをもう1冊
赤いユニフォームがとても目についた夏の写真
日本にもサッカーが根付きつつあるのかもだけど、やっぱりアメリカ人はベースボールなんだなと。爺・父・息子と野球を楽しむが、夏の日に息子の野球を見ながら自分の夏を語っている小説。
「夏の日の声」
アーウィン・ショー
(講談社文庫)
常盤新平訳
ショーは短編の小説家と思っていたけど
自分はパリよりニューヨークに憧れがあるから、雑誌New Yorkerの雰囲気が感じられる小説ははっきり言って好きだ。
これは先の「夏服を着た女たち」を変形拡張したような内容だけど、ロシア移民のユダヤ系家族のお家物語がベースになっているのが(少し)読ませる。ウッディ・アレンに象徴されるユダヤ人が描くユダヤのアイデンティティを問うような作品、わりと自分は好きなのである。
最初に作者がこういうように、夏の野球から現在&過去を、重層的な思い出を行きつ戻りつツラツラ綴る。
聞こえてくる声や音はいつの時代も同じである。夏のアメリカの音たち。ボールを叩くバッドの音、内野手が叫ぶ声、ボールがキャッチャーのミットに納まる、木を叩くような音、「ストライク・スリー・アンド・ユーラー・アウト」と宣する審判の声。
過去は主人公(ベンジャミン)の10代半ばである1927年から戦争を通じて1964年、時代も場所も異なるけど、読み返している今が夏だけに、つい自分も昔を思い出す。
一フィートはなれて見れば、俺たちは幸福そのものの夫婦だろうとベンジャミンは思った。
とまた、夫と妻の噛み合わない様子を示しつつ、決して壊れない。家族の人間関係を描きつつ、一方で移民や黒人の人種差別とかアメリカらしい問題が題材になっていたりする。
ショーの長編、自分はこちらよりも起伏が激しい「はじまりはセントラルパークから」の方が以前は好きだったけど… 今読んでみるとどうなるかな。案外こちらのツラツラと綴ってある方が肌に合うかも。
訳者である常盤新平氏も言っているが、ショーはヘミングウェイのように時代を代表する(東大の先生が訳す)ような作家ではないかもだけど、時代や社会状況に家族愛を織り込んでドラマを作るのが上手だと思う。とても自然で作られた感がなく、自分の周囲でも起こりそうな気さえさせる。
多くのドラマがツラツラ描かれながらも、最後は
「お昼からずっと何をしていらしたの」と妻が訊いた。
「野球を見ていた」と彼は答えた。
そして結末は庶民的ハッピーな余韻が残る気がする。