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四谷駅近くの20号沿いには碁盤店が2店もある
大阪を撮影する機会がなく、真田家ゆかりの画像ネタも尽きているが、第12巻では碁盤を作成しながらお家の裏切り者を成敗する話があるので、碁盤の写真を…。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「真田太平記」
第十巻・大坂入城
第十一巻・大坂夏の陣
第十二巻・雲の峰
池波正太郎(新潮文庫)
愛されていた豊臣家は何故生き残れなかったのか?
2019年新年から読み始めていた「真田太平記」もいよいよクライマックス。すでに歴史の事実として広く知れ渡っているから、結論を述べてしまうと、ついに真田幸村氏も戦死っす…。
「第十巻・大坂入城」
三九郎は、名家に生まれつつも、時代に流され無理することも画策することもなく流れに乗ってゆく武士で、縁あって真田家と縁ができる。結果オーライの生き様(事実)に、著者の池波氏はいろんなことを語らせている。
三九郎は、平然としている。
「世の中の事は、一寸先もわからぬものよ」
(略)
これまでの三九郎は、そのときどきの情況に逆らわず、しかも、のびのびと生きたようにおもわれる。
一方、豊臣方のまとめ役(今回初めて知った)大野治長には、真田幸村の提案に対して幸先薄いことを語らせるが、史実はもう少しこの人物を評価している。いずれにせよ、三成と似てる官僚向きな人物だったのかなと。
だが、果たして、大野治長に一蹴されてしまった。
治長は、こういった。
「そのような夜討ちは、田舎漢(いなかもの)の一揆争いの計略と申すものでござる。こたびこそは天下分け目の一戦にて、さような軽々しき計略は用いるわけにはまいらぬ」
「第十一巻・大坂夏の陣」
オペラではないが、いよいよ大坂夏の陣のクライマックスに向けて盛り上がり、ページをめくる手も早くなった(大袈裟)。
著者の文章も短く、テンポが早くなるのだけど、池波氏の女性観が伺えて面白い。徳川家への使者として立った大野治長の母らの描写である。
女という生きものは、何事につけても、
「よいことのみ……」
を、おもっている。
先の見通しなどは、ほとんどもたぬ。
すべての女が、
そうだというのではない。
(略)
「よいように、よくなるように……」
と、おもいつめる。幻想を抱く。
それがまた、女のよさでもあり、物事をわきまえぬ強さなのでもあろう。
この時代、家康に匹敵するような武将は次々と世を去ったのだから、長生きしたことが家康の勝利だったのかなと。
しかし、幸村が大野治長という人物に不安を抱くのは、彼が豊臣家の〔執事〕として、現代の言葉でいうならば、
「ひとかどの政治家のつもりでいる……」
(略)
生死の境を数え切れぬほど切りぬけ、徳川家を存続させるためには、将来に期待をかけていた長男の三郎信康まで、むざむざと死なせてしまったこともあるような大御所・家康に引き比べて、世間知らずの大野治長は、豊臣家という〔温室〕の管理人のようなもので、
(略)
真の力量がない者が、人の上に立つことほど怖いものはない。
人間模様を読ませる池波正太郎氏の時代小説である。
「第十二巻・雲の峰」
最後の巻は、徳川家について生き残った兄・信行のその後である。
右近とは、幼少時から「白いウサギ」と可愛がった後輩武士で、重要な京・大坂と信州との連携を担っていた人物。平和になったとは言え、信行の喪失感も妙に想像はつく。
右近が沼田を去ってから、しばらくの間は政事にも手がつかず、伊豆守信之は弟の遺髪と小野のお通の手紙を、ふところに忍ばせたまま、本丸の天守へあがり、雪の山々をながめては日を送ったものである。
信行や太平後の真田家の話がまとまって短編集のような趣を装い、文庫本12冊に及ぶ大河小説は終わった。
最後に、これは家康の言葉か? 池波家康の言葉か?
「(略)たとえば、踊りなどを見るに、幼き者が節まわしもよく、浮き立つほどに音頭をとれば、大人も老人も面白さに我を忘れて踊り出すものじゃ。乱世のならいにて、一方の将となるべき者あれば、その当人に謀反のこころがなくとも、かたわらにて、うまく音頭をとる者どもに引かれて起ちあがることもある。(略)」
世の中とは、そういうものだよねと。
極力自分は音頭にとらわれず、つまらぬ小さい信念を大事にして生きてゆきたいとは思うけど…
来年2020年も大河小説よみたいわ(もう決めているけど)。