ミステリーファンではないけど、嫌いではない。ホームズは知っていたけど、ブラウン神父作品は知らずに来てようやく積んでいた1冊を読んでみた。あとがき、解説、書評など読んでみると、もはや立派な古典として、読んでおくべき作品には違いない!
“The innocence of Father Brown” このinnocenceに、各々訳者の苦労が滲み出ている?
古くは「童心」「無知」「純智」「無心」などがあるが、田口俊樹氏の訳では素直に「無垢なる」とし修飾される名詞として「事件簿」がついている。今回は田口俊樹氏の訳書で、自分は氏が手がける作品は気になって割と手にとる。早川書房が多いかな?
本のタイトル | ブラウン神父の無垢なる事件簿 |
著者名 | G・K・チェスタートン |
訳者名 | 田口俊樹 |
出版社 | 早川文庫 |
帯には
一見冴えない小男、実は名探偵!
とあるので、小男&大男の画像を選んでみた。では大男は誰?
映像化されるとなると誰がハマり役になるのかな?
ブラウン神父初期の作品が並ぶ。イギリス社会からして、神父という立場の人が事件を解くのが面白い。
- 青い十字架
- 秘密の庭園
- 奇妙な足音
- 飛ぶ星
- 透明人間
- イズレイル・ガウの誉れ
- まちがった形
- サラディン公爵の罪
- 神の鉄槌
- アポロの眼
- 折れた剣の看板
- 三つの凶器
短篇集のせいもあるが、どれもそれほど読者を焦らすことなく、早くから犯罪解明の答えを匂わせ、解明する過程で人間が正気から狂気に変わる瞬間を捉えている。
これらの原作は1911(明治44)年に発表であり、日本だと1917年の半七捕物帳より少し前になる。近代ミステリーのようなすごい?道具(エレベーターが文明最先端の機器として登場するほど)も驚きの結末もない。淡々と人間の心理と、そこから発生した不自然な部分を自然につなげて事件を解いてる。
自分が割と信頼している本読みの杉江松恋氏が評している
チェスタトンは社会批評の分野でも名をなした人物で、一見奇矯かつ的外れさえ見える言辞が、実は他の何よりも本質をとらえていることがわかるという逆説の技法を駆使して人気があった。その技法を小説に応用したのが、ブラウン神父シリーズなのである。
この点を意識して読んでみると、ブラウン神父の眼の付け所と事件解決が自然に絡まって「すごい」と思った。
青い十字架
初っ端から、松恋氏が指摘することを裏付けるような発言があった。
「相手が何をしているのかわかっているなら、さきまわりすればいい。(略)だから、そういうときには何か奇妙なものに眼を光らせているしかないんだよ」
「何か奇妙なものというと?」と警部が尋ねた。
これはパリ警察の長・ヴァランタンの言葉であり、奇妙なものを手繰り寄せ事件を解決する流れで、平凡な状況から事件解決へと流れるストーリーが新鮮だった。
ここで、ヴァランタンは犯人である大男のフランボーを追いかけてくるのだが… いつからか、このフランス人の大男(フランボー)はイギリス人の小柄な神父ブラウンの相棒に収まっていた。
ホームズとワトソン、ボケと突っ込みではないが、二人の掛け合いがある方がストーリーは楽しみやすい。
飛ぶ星
犯罪側のフランボーが、解決側の神父の相棒に収まって語る。
おれの最後の犯罪はクリスマスの犯罪だ。明るくて小ぢんまりとしたイギリスの中流階級の犯罪、いわばチャールズ・ディケンズ風の犯罪だった。
ディケンズ風って?と自問自答したくなる。自分は「二都物語」と「オリヴァー・ツスト」しか読んだことがないけど… 気になる。弱者のために富めるものから盗むみたいな感じだろうか。
チェスタトンはディケンズを信奉していたらしいから、リスペクトの意味で使ったのかな。
まちがった形
意味深長に言う。
「ご夫人は働きすぎですね」とブラウン神父が言った。「ああいう女性が二十年もちゃんと義務を果たした挙句、何か恐ろしいことをしでかすのです」
ご夫人はどういう恐ろしいことをしでかしたのだろうか?
三つの凶器
このような、ちょっとした不自然さを突いてくる。
そう考えると、アームストロング家のうすら寒い居心地の悪さは、明らかに主の大変な元気さとあふれ出るエネルギーもその一因になっていたように思われる。
ミステリーものは読み出すとキリがないけど、娯楽が少なかった昔の大きな楽しみという存在はとても納得がゆく。