常々読みたいと思っていた1冊を読了。何も知らず、この方のお名前を見て誰だろう?でも志賀直哉の周辺にいた近しい人だったのかな… と思い、時代を遡ってみると、それなりの著名な方のようだった。
開高氏も著作で触れている。釣人として、接すると奥の深い方なのだろうが、本業は尺八の人なのか?
フム、確かに人物像として語られるには面白い人に違いない。
文庫概要
タイトル | 志賀直哉先生の台所 |
著者 | 福田蘭童 |
出版社 | 旺文社文庫 |
カバー画 山高登
本文挿絵 山高登
個人的な興味で恐縮だが、旺文社文庫で山高氏が採用されていることが妙に気になる。当時はもう新潮社の社員ではなかったのかな? 著書を読む限りだと、蘭童氏との直接の関わりはなさそうだ。
このサイトでも紹介していた!
内容紹介
目次は下記のとおり、どれもタイトル付けは今ひとつだなと思いながら、内容がそのまま列記しているのでわかりやすくもある。本のタイトルは悪くないかなと。
- ヤマバトと生ウニ
- フグ
- 花札
- シイタケと水セリ
- イノシシ鍋
- 自転車の曲乗り
- 相模湾の沖釣り
- 糖尿病と奇遇
- オクラとアユ釣り
- カマスとパチンコ台
- ヒヨドリと山高帽子
- タバコと救急車
- 生麩の失敗
- 大倉男爵と借用書
- 麻雀旅行と古稀祝
- 奥日光旅行
- 追いだされる山荘
- 移転した志賀家
- 渋谷での生活
- 姪御の合格とイセエビ
- タヌキの皮算用
- 谷崎家訪問
- 広津さんとの別れの日
- 欣求浄土
- あとがき 石橋エータロー
花札
わたしは子供の自分から尺八を吹いているので指先の感覚は非常に鋭敏なので、それを応用して、花札の絵面を見ずとも、指先で花札を撫でて当てることをひそかにおぼえていたのであった。
これは開高氏が言及している発言を裏付けているなと。
糖尿病と奇遇
知らないと知らない人だけど、背景がわかってくると奥が深くて、それなりの著名人と関わりある著者だったのである。
志賀先生はわたしの人間性をまず知ろうとして呼びだしをかけたことは無論のこと、父、青木繁や、同じく画家であった母、福田たねのことを詳しくたずねたばかりか、ときどき、わたしの行状をききただしては、チクリと皮肉の針をさすのであった。
志賀直哉氏も小説の題材として興味持ったのかもだけど、この人物の不可解性に諦めたかな? だけど志賀直哉の「山鳩」という作品には実名で登場しているとのこと。
麻雀旅行と古稀祝
彼はどうしたわけか、常にわたしを敵視して「鍛冶屋のタヌキ」と呼ぶ。鍛冶屋という部落に住んでいるせいであろうが、タヌキとは何ごとぞ。彼は満貫をふりこむたびに、「鍛冶屋のタヌキに化かされた。蘭童タヌキに化かされた」というところから察すると、口惜しくて口惜しくて、心の中でオケラ踊りをしているに違いない。
阿川氏と蘭童氏のお互いの思いを推測できる発言である。
「あとがき」の最後に、
この作品は一九七六年、現代企画室より刊行されました……編集部
とあるが、自分は何を言いたいのかと申すと、こちらの本の書かれている内容は面白いのだが、「え!本当?」とか「そこまで書いて大丈夫?」みたいな部分がある。時が経ているし、関係者も故人(志賀直哉は1971年死去)だからよいのかな?とざっくり思っていたら、wikipedia に
阿川弘之は直哉や志賀家の人々の言葉遣い、とりあげられたエピソードの信憑性に疑問を持っており「問題の書」と評している。
と書かれていて、(申し訳ないが)阿川氏の発言の方が正しい気もしたりする。著者としては悪意はなく、多分、ちょっと話を面白くしたつもりだけかなと。加えて、阿川氏と蘭童氏のご両人は互いに一抹の不信感を持っていたかなと。
それと「あとがき」の石橋エータローはご子息である。(これまたwikipediaに頼ってしまうが)ハナ肇とクレージーキャッツのメンバーということからも、父親に劣らずなかなか芸達者な家系かなと感心する。それにしても、ひょっとしてこの石橋家は結構な資産家だったようで、ひょっとするとあのブリッジストン家とも関連あるのか?と妄想は膨らむ。
この1冊でした(Amazon)
文庫本の古書価格としては結構よいお値段かなと。