Contents
「キリマンジャロの雪」に見立てて
キリマンジャロは見たことないけど、何となく雰囲気は似ているのではないかなと(無理くり)。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「ヘミングウェイ全短編2」
~勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪~
高見浩・訳(新潮文庫)
初期の青臭さから中期のほろ苦さへ
大作家の本質を楽しめるような醍醐味を味わっている。短編は気軽にそれ(醍醐味)を感じられる。
初期の短編集~その1~では、若さと同時に青臭さもあったものの、充実の~その2~では、悲哀臭が漂い始めていた。成功軌道に乗り、お金にも女性にも満たされてくると、その裏を書かずにはいられなくなっている。
今回~その2~は、短編集と3つの独立した短編がおさめられている。
- 勝者に報酬はない(14短編集)
- 世界の首都
- フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯
- キリマンジャロの雪
勝者に報酬はない
初期短編集「男だけの世界」にあったようなマッチョ系からやや大人?になり、どちらかと言えば皮肉な一面に出てきたかも。
勝ち組が必ずしも満たされている(報酬が得られる)とは言い切ってないように、苦い結果が伴う色調が全体に漂っている。
自己のセックス観を要約して、父はあるときこう言ったことがあった。マスターベイションは、失明、狂気、それに死をもたらす。一方、売春婦と付き合う男は恐るべき性病に感染するのであって、それがいやだったら、なるべく他人とは接触しないほうがいい。こんなことを言う反面、父はニックの知るかぎり最高に素晴らしい目の持ち主で、ニックは長いあいだ深く彼を愛していた。けれども、父のその後の人生がわかっているいまは、事態が悪化する前の、ごく初期の頃の回想ですら、いい思い出はない。
世界の首都
途中までは、まあ青年の尖がった言動に軽くイライラさせられつつ、最後にずどーんと「”幻像”に埋もれて死ぬ」と身も蓋もないお話。
(牛と闘う前にどんな気持を味わうものか、どこの淫売にわかるというのだ? 自分を嘲笑する連中は、いったいどれほどの体験を経てきているというのだ? 連中はみんな淫売じゃないか。淫売のやることしか知らないくせに。)
フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯
個人的にはこれが一番響いた。
読了後に思えば、「世界の首都」と根底に流れるものは似ているかもだけど、ここでは妻が絡んでくることが大きい。ちなみに、ウィルスンは狂言回し的な立ち位置の人物で、どこまでも冷静に出来事を語る。
「この種の女」は主人公の妻で、主人公である夫がフランシス・マカンバー、話の内容はタイトルが説明してる。
「ああ、どんなものでもね」ウィルスンは答えた。「どんなものでも殺せますよ」この種の女はこの世で最高に扱いづらいんだ、と彼は思った。最高に扱いづらく、最高に冷酷で、最高に利己的。そして、最高に魅力的なのだ。
キリマンジャロの雪
「フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯」の変奏曲にも思えたが、根本的に異なるのは… と考えてみたものの、やっぱり同じ曲調だなと。強いて言えば、狂言回しがなく、男の視点で描かれてる部分が多いので、客観的に状況を解説している描写が少なかったかな。
有名なのは、こちらのようだけど、自分はマカンバーの方が好き。
おれがだれか別の女と恋に陥ると、その女がきまって前の女より裕福だったのも不思議ではないか? だが、そのとき、おれはものや心から愛していたわけではなく、いまの女に対するように、ただ虚言を弄していたにすぎない。(略)いまはおれを作家として、男として、パートナーとして、そしてご自慢の所有物として、とても大事にしている。その彼女に対する愛も失せ、ただ虚言を弄しているときのほうが、心から彼女を愛していたときよりも、あいつの金に見合う満足感を与えてやれるのは、不思議なことだった。
カポーティーもお金持ち(セレブリティ)を描きたくてウズウズしていた気がする。彼らの生き方は、作家の創作意欲を刺激するのかも。
が、もし自分がこのまま生き永らえても、この女について書くことはあるまい、と彼は思った。その点についてははっきりしていた。この女をとりまく金持ち連中についても、書く気はない。金持ちは退屈だし、酒を飲みすぎる。バックギャモンをやりすぎる。やつらは退屈だし、話もくどい。哀れなジュリアンのことを、彼は思いだした。
死(自殺)への晩年~その3~は、かなり心は病んでると思われるが、さてさて、どのような作品が揃っているのかな。楽しみだけど、ちょと怖い。