“移動”祝祭日とは日常がいっとき祭りになること?
GWの初日、杉並の高円寺は街が劇場!というコンセプトで「びっくり大道芸」が開催されるが、こういうのが「移動祝祭日」かと自分は思っていた。
写真はウォーキング・アクトという、竹馬らしき乗り物で街を回遊する。
地元で手軽に楽しめる休日はお気楽娯楽。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「移動祝祭日」ヘミングウェイ
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ヘミングウェイは好きで読んでいる
自分の熱い思いはいづれ追い追い語りますが、ヘミングウェイを好きで若い頃から結構いろいろ読んでいる。
あえて一言で言ってみれば… やはりその生き様なのかな。ノーベル賞受賞とか自殺、そのような光や影には自分興味なく、1930年ごろにヨーロッパでの活躍に興味ある。この「移動祝祭日」は自殺する直前に書かれた回顧録で、若かりしき時のパリでの生活を振り返った作品である。
しかし、タイトルは「ヘミングウェイ自身が決めたものではない」と解説にある。死後、出版に際してヘミングウェイを良く知る人が、生前ヘミングウェイが
もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。パリは a moveable feast (移動祝祭日) だからだ。
と語っていた言葉を提案したらしい。この一文だけ読むと、さも素晴らしい経験だったのだな!と思われるが、実際には複雑で苦い否定的な体験もあったようだ。
本来、移動祝祭日とはハッピーマンデーのように、年によって祝日が移動する祝日を意味するようだが、私やヘミングウェイのような解釈の方がロマンがあってよくないか?
とにかく、マグナムのロバート・キャパとも接点があったり、かなり女性を泣かせているのではないだろうか? 私はそういう生き様に惹かれているのかもしれない。
内容紹介
- はじめに
- サン・ミシェル広場の気持のいいカフェ
- ミス・スタインの教え
- ”ユヌ・ジェネラシオン・ヴェルデュ”
- シェイクスピア書店
- セーヌの人々
- 偽りの春
- 空腹は良き修業
- フォード・マドックス・フォードと悪魔の使徒
- 新しい文学の誕生
- パスキンと、ドームで
- エズラ・パウンドとベル・エスプリ
- 実に奇妙な結末
- 死の刻印を押された男
- リラでのエヴァン・シップマン
- 悪魔の使い
- スコット・フィッツジェラルド
- 鷹は与えない
- サイズの問題
- パリに終わりはない
- 覚書
- 年譜
- 解説
解説は訳者の高見浩氏によるものだが、
一介の無名の若者が異郷の地で貧困と闘いながら愛の巣をはぐくみ、文学修業に励む――そのロマンティックなイメージにひたり、そのイメージを生き切ること、それが当時のヘミングウェイを駆り立てていた原動力だったのだろう。
実は何度も再読しているけど、直近2022年に再読した目的は、「優雅な生活が最高の復讐である」のマーフィー夫妻との接点が気になっていたから。
当時の状況から推して、”リッチな連中”とはある時期までヘミングウェイのパトロン役をつとめたジェラルド・マーフィー夫妻、”パイロット・フィッシュ”は『U.S.A三部作』で知られる、かつてのヘミングウェイの親友ジョン・ドス・パソスを指していると見て間違いない。ヘミングウェイの反感はもっぱらこのドス・パソスに集中しているかのようである。
パイロット・フィッシュ?とはとはと調べてみると
超大型の魚にくっついて顔の周囲を泳ぎ、まるで船頭や操縦士のように大物を先導しているかのように見える魚のこと。
なんだかなと失笑してしまう。ふふ。
どうもヘミングウェイは、この”リッチな連中”に反感を持っていたようにも読み取れるが、それでいながらちゃっかり利用していたようにも読み取れる。
自分も事実が知りたい訳ではないので、どちらでもよい。
自分、ヘミングウェイ好きだからがっつり短編も読んだけど、「移動祝祭日」はヘミングウェイの全体像を知って読む方が奥行きを感じられるなと。ご都合があえば下記コンテンツもどうぞ!