今年も本を読んで、日本の風景を写してゆきたい。
主人が死んでお屋敷が崩壊して
こちらの画像の建物は2015年撮影後、まもなく取り壊された。遺族はどうされたのかな?
古き良き日本の木造建築の趣あったのに、あっけなく取り壊された。自分に宝くじ1億円が当たったら、手を入れて素敵な古民家として暮らしてみたかった。一人で住むには広過ぎ? 寂し過ぎ?
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「アッシャー家の崩壊/黄金虫」
エドガー・アラン・ポー/小川高義(訳)
光文社古典新訳文庫
エドガー・アラン・ポーが生きた時代とは?
エドガー・アラン・ポー(1809-1849)が生きた時代を踏まえて小説を読まないと、その斬新さが今ひとつピンとこない気がする。
日本だと…
- 黒船来航が、嘉永6年(1853年)
- 大政奉還、慶応3年(1867年)
だから、アラン・ポーが生きた時代は、江戸時代末期の世界で明治時代より半世紀以上ずれがあるということだ。
- エドガー・アラン・ポー(1809-1849年)
- コナン・ドイル(1859–1930年)
- 夏目漱石(1867-1916年)
後者の2人は明治から大正に生きた人になる。この短編集には
- アッシャー家の崩壊
- アナベル・リー
- ライジーア
- 大鴉
- ヴァルデマー氏の死の真相
- 大渦巻への下降
- 群衆の人
- 盗まれた手紙
- 黄金虫
というラインナップで、ポーの特色と同時に、彼がいかに人間描写からその人の特質を抽出し、そこから滲み出る恐怖をミステリーに仕立てたかがわかると、人間とは厄介な人物だなとも思う。エピグラフ(文書の巻頭に置かれる句、引用、詩、などの短文のこと)を併せて紹介しておく。
- アッシャー家の崩壊
かの心は、吊るしたリュート
触るれば、ただちに響くなり
お家物語はだいたい3代で没落するけど、こちらもある意味没落物語。
直系の一線だけで連綿と続いたのであり、たまに微動することはあっても、元の一線がゆらぐことなかったのである。(略)こうして分家を出すという現象が欠落し、結果として父から子へとまっすぐに家督が継がれたからこそ、ついには屋敷と人間が一体のものとなり、元来は土地にそなわっていたはずの名称が、(略)
それでも、脈々と連なった家系の行き着いた先の当主は、もはや屋敷と一体化して神経質過敏に陥る。
まったく刺激のない食品しか食べられない。ある生地の衣服しか着られない。あらゆる花の香りに圧迫感を覚える。わずかな光にも目が痛む。
むろん、最後は死んでTHE END. そこへ至る過程を恐怖仕立てで読ませる構成。
- 盗まれた手紙
賢(さか)しらであるものは、賢いものにとって、何よりも厭(いと)わしい
これは、別件でさわりだけ知っていたので、結末を読んでみたかった。
「盗んだ犯人は」(略)「D大臣だよ。人間らしいことも、らしくないことも、平気でやってのける男だ。(略)」
要するに、清濁併せ呑む(せいだくあわせのむ)、ある意味鈍感な偉い人物が犯人。面白いのは、犯人はわかっているが、なぜその人が犯人であるかを解説するところ。
「ああいう操作としては」(略)「たしかに上等なものであって、手際もよかった。だが欠点があるとすれば、この事件と人物には適用外だったことだね。」
人間描写に尽きる。
むかしの人の方が、悪事に鈍感で認識も乏しい分、結構悪いこともしてのし上がっていたのかなと。現在の時代に照らし合わせ読むと「そんな非現実…」と白けてしまうかもだけど、むかしの時代ならあっても違和感のない犯罪なのかも。
人間の生きる社会は怖い。
- 黄金虫
おやおや、何だ! こいつめ、踊り狂ってる!
毒グモに咬まれたに違いない
これは犯罪テクニックを読ませる短編だなと。いつの時代でも、犯罪小説は人間の暗部を見せられ、それはそれで楽しめる。
訳者の小川高義氏は、新潮クレスト・ブックスのインド系女性作家ジュンパ・ラヒリを訳している方で、自分にとっては気になる人。訳者で小説選んだりするので。他のポー作品では「黒猫/モルグ街の殺人」も読んでおきたい。