作品にならって井の頭動物園へ
すっかり都会暮らしの自分、狸をみたくて動物園へ行ってみた。
本のタイトル | お伽草子 |
著者名 | 太宰治 |
出版社 | 新潮文庫 |
自分にとっての太宰作品好き嫌い
織田作之助も苦労したらしいが、太平洋戦争中に作家は書きたいことを書けず、太宰治は古典に形を借りて自分の思いを忍ばせ作品を描いていた。こういう場合、どの古典を選ぶかに作家の個性が反映されて面白いと思う。
客観的な作品の出来栄えについてはおいといて、自分の好みという主観から好き嫌いがある。
内容は次のラインナップ、「新釈諸国噺」と「お伽草紙」は複数の短編集となっていた。
- 盲人独笑
- 清貧譚
- 新釈諸国噺
- 竹青
- お伽草紙
清貧譚
貧乏人というより、貧乏と菊づくりに捧げる情熱を天秤にかける話で、素直に楽しく読めた。作者は大変だと思うけど、こういう作品が太宰らしくてよいと思うのに。
解説によると、中国の怪奇小説集の一編に触発された作品らしい。
新釈諸国噺
日本津々浦々にわたって12ほどの古典を太宰治風に意訳した作品集だった。
シニカルでエッヂが効いていて楽しく読めた作品もあったが、多分?力尽きたと思われる作品もあった。後者の場合、始まりの部分の文章の一文が何行にも渡っているので、きっと筆が乗らず、ダラダラとなかったのかな?と勝手に推論した。
お伽草紙
タイトルにもなっているこちら、昔ばなしとしても有名な3作品を、著者の見解と大人が思うだろう視点を交えて。
- 瘤取り
- 浦島さん
- カチカチ山
昔ばなしのオチはちょっと毒気がある。
「狸さん、可哀想ね。」
と意外な事を口走った。もっとも、この娘の「可哀想」は、このごろの彼女の一つ覚えで、何を見ても「可哀想」を連発し、以て子に甘い母の称賛を得ようという下心が露骨に見え透いているのであるから、格別おどろくには当たらない。
などと思いつつ読んでいると、スーパー現実な記述が。ということで、自分も思い立って出かけて、ついでに狸を撮影してきた。
或いは、この子は、父に連れられて近所の井の頭動物園に行った時、檻の中を絶えずチョコチョコ歩きまわっている狸の一群を眺め、(略)
カチカチ山の狸は悪者の役回りだけど、実際に狸を目にしたときの印象を確認したくなったので本物をみてきたのであるが、カチカチ山のように、ウサギに火をつけられるほど、悪者には思えなかった。
だけど、ちょっと鈍い印象は残るのかな。
作品の良し悪しを言うつもりはないが、古典に形を借りた作品なら、圧倒的に「右大臣実朝」が好き。