ようやく太宰作品を読めるような気がしてきた
機会あってまた青森県に行ってきた。
最終日、金木に行って斜陽館を見てきた。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「津軽」太宰治(新潮文庫)
何度読んでも頭に入らなかった「津軽」だったけど
青森旅行の前に改めて読んでみた。斜陽館に行くのは未定だったけど、時間の関係で最終日に行ったところ、とても太宰の世界観が見えてきた気がした。
雰囲気で小説を読めない自分、これまで津軽という土地も地理もわかってなくて、太宰の伝えたいことが全く伝わってなかったが、ついに腹落ちした(気になっている)。
文庫本で180ページほど、普通の中編くらいの量だけど、わかってくると良い感じに読める。既読感もあるだけに、ようやく納得できたのが気持ち良い。
「序編」より
私はもう、二十年ちかくも大鰐温泉を見ないが、いま見ると、やはり浅虫のように都会の残杯冷炙に宿酔してあれている感じがするであろうか。
大鰐温泉までは行きかねたが、浅虫は行ってみた。まあ、ここはフムフムというレベル。
本編の「二 蟹田」より
(オズカスというのは叔父糟という漢字でもあてはめたらいいのであろうか、三男坊や四男坊をいやしめて言う時に、この地方ではその言葉を使うのである)
太宰に限らずだが、むかしは長男(長兄)以外は本当に控え・おまけのような存在だったのだなと。それって、後々やはり太宰の生き方にそれなりの影響を与えてきたのだろうと。
友人や親戚を訪れるところでは、次のように恐縮し彼らを持ち上げている部分も多く、それはそれで太宰の気遣いを感じさせる。
津軽人の愛情の表現は、少し水で薄めて服用しなければ、他国の人には無理なところがあるかも知れない。東京の人は、ただ妙にもったいぶって、チョッピリずつ料理を出すからなあ。
が、読み応えあるのは、やはり実家に関する「四 津軽平野」だと思う。
兄弟の間では、どの程度に礼儀を保ち、またどれくらい打ち解けて無遠慮にしたらいいものか、私にはまだよくわかっていない。
この辺で、太宰の気持ちを汲み取らないと、彼の小説は読めないかも。血をわけた兄弟に受け入れてもらえない疎外感とは、屈折するのかなと。そして本音を語る。
金木の生家では、気疲れがする。また、私は後で、こうして書くからいけないのだ。肉親を書いて、そうしてその原稿を売らなければ生きて行けないという宿業を背負っている男は、神様から、そのふるさとを取りあげられる。所詮、私は、東京のあばらやで仮寝して、生家のなつかしい夢を見て慕い、あちこちうろつき、そうして死ぬのかも知れない。
この小説のクライマックスは、最後の「五 西海岸」にあるが、上の一文は太宰作品のクライマックスな気もする。これまで、ここが自分に刺さらなかったから、わかっていなかったのかなと。
そして「四 津軽平野」の最後に
兄は黙って歩き出した。兄は、いつでも孤独である。
ここに至るまでの話は、創作なのか事実なのか不明だけど、この実家を語る章は一番好きだなと思った。
多分、そのうちまた読む。
よろしければ、遠足の様子をば。
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