ピットブル犬とはどんな犬だろう?
たまたま公園で見かけた犬が「同じ種類かも!」と思ったが、ピットブルとは違った。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「25時」
デイヴィット・ベニオフ(新潮文庫)
田口俊樹・訳
原作より先に映画からはまった小説を再読
「訳者あとがき」にある訳者が引用
“誰もが常に求めているのにめったにお目にかかれない、タフで正直で若さあふれるニューヨーク小説”と言っているが、
というのが、この小説の客観的な説明としては相応しいのかも。
主観的には、主役がエドワード・ノートンということに尽きる。ちなみに、結末が少し意味深長で分かりにくいのであるが、この小説に限って自分は結末はどうでもいいと思っていた。だけに、今回改めて読んでみると誤解していたことが判明!
あと二十四時間経ったら、彼はオーティスヴィル行のバスに乗らなければならない。明日の午には、自分の名前を番号と取り替えなければならない。
オーティスヴィルとは刑務所のことで、エドワード・ノートン(主人公)は麻薬販売人として逮捕され、7年間服役することになっている。その前日25時間の出来事がこの小説なのである。
そして親友は言う
「(略)あいつが明日からのことを話したがったら、おれたちも話せばいい。あいつは明日から七年間地獄に行く。そんなあいつにおれがやってやれることはなんだ?幸運を祈る?おれたちはやつを酔いつぶして、今日一日だけ愉しい夜を過ごさせてやる。それでいいじゃないか」
自分が気に入っているのは、この小説のシチュエーションである。
殺人を犯したのではないが、まあ悪いことをして20代後半からの人生楽しい時期を刑務所で過ごさなければいけないのだが、果たしてエドワード・ノートンを警察に密告したのは誰だ?というサイド・ストーリーがある。
密告者は恋人か? 友人か? 父親か? 相棒か? そして密告者への復讐は?
このストーリーに脇役として渋い役を演じているのが、ドイル。拾ってきた捨て犬で
「なあ、聞いてくれ。これはおれには大切なことだ。ドイルはおれにはとても大切な犬なんだ。(略)あいつは誰も信用しなかった。撫でようと誰かが手を伸ばすと、あいつはその手を食いちぎろうとした。(略)あいつの以前の飼い主は、あいつに煙草の火を押しつけ、チェーンか何かでぶっ叩いたりもしてた。おまけにあいつは闘犬の対戦相手に耳を食いちぎられてた」
主人公の内面を描くのに、犬を利用している点も気に入っている。ちなみにプロローグは、この犬を拾うところから始まる。
そして主人公は最後に言う。
「おれには耐えられないだろう。おれはいつも自分のことをタフな人間と思ってた。(略)塀の中にはおれよりタフなやつがごまんといる。そいつらはおれを利用し、おれを食い尽くすだろう。おれを見ろよ!おれは白人の可愛い坊やだ。塀の中で七年はもたない」
そうかと言って、出頭しなければどうなるか… という条件もあり、要するに八方塞がりの状況で、密告者が誰だか判明し、出頭日に主人公エドワード・ノートンのとった行動は… となるのだが、自分は上のセリフが出た段階で満足してしまい、結末への興味は失せていた。
何故なら、出頭する、しない、自殺するのどれかになるが、どの選択肢も結局結末は作者が自分の美学で描くだけかなと思ったから。
ちなみに、訳者は近頃よく見かける田口俊樹氏だけど、金融業界の訳の部分はちと不十分かなと思った。
せっかくの嫌味な(スノッブな)描写だから、もっと嫌味な感じになるように、業界の人に確認してプロな記述にして欲しかった。しかし、逆に作者ベニオフは金融業界のことも詳しいことに、少し感心してしまった。
映画はこれ!
フィリップ・シーモア・ホフマンも出演していたのね。よくよく改めると、意味不明だと思った結末は、きちんと原作を踏まえていたなと。
スパイク・リーが監督。音楽もかっこいい。やはり、この作品は小説より映画がおススメだ。
そろそろまた骨太でスタイリッシュなアメリカ映画観たい。