和宮ご一行、ここ奈良井宿ではご休憩
この丸い看板は漆塗りでできているらしい。とってもクール。
緑と木造建築が映える日本らしい景色かなと。
木曽路は東海道の裏街道として、西から江戸に向かうルートとして利用されていたらしい。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「和宮様御留」有吉佐和子(講談社文庫)
中山道の記述少だけど和宮の謎が!
この小説は、中学の社会の授業で紹介されて知った。学校の都合で教頭が担当していたのだが、中学生には難しい小説だった。社会人になって改めて読んでみれば、(有吉女史だし)楽しんで読むことができ、近ごろ中山道に関心があるので再読してみた。
残念ながら、中山道に関する記述は少なかった。
中仙道は俗に女街道と呼ばれているが、それにしても百人近い女の集団が通るのは二百四十年前に徳川家康の孫娘が後水尾帝の皇后になられたとき以来で、その頃のことを覚えている者など、どこの土地にもいる筈がなかった。
さぞ地元の住人にとっては、一世一代のスペクタルだろうなと。
和宮の御行列は予定通り粛々と中仙道の中でも嶮しい中津川から三富野、そして上松の本陣に着くまでの山坂を、下仕えの女たちは笠をかぶり、人夫は冷たい雨に濡れたまま歩いた。坂が急なので、馬でさえぬかるんだ道に足を取られてよろけることがあったが、さすがに八瀬の童子たちが担いでいる宮の御輿だけは小ゆるぎもせず静かに動いていた。
幕末の少し前かな、ときは1861年に和宮は京から、ここを経由してお江戸に向かった。ここ奈良井では休憩をしたらしい。
この小説のストーリーは結構ミステリアスな展開になっている。真偽は不明だけど、現在の何もかもがオープンな状況とは異なるが故に、この展開は成り立つのかもしれない。