知る人ぞ知る喫茶店「邪宗門」がうちの近所に
芥川の小説とは無関係かと思いますが…
実家の近くには「国立邪宗門」があった。
が、今回は芥川の小説「邪宗門」にちなんで、こちらを紹介したい。
「羅生門・鼻」
芥川龍之介
(新潮文庫)
20年前に荻窪に住むようになって同じく「荻窪邪宗門」を見つけたときには、何かつながりが?と思ったものである。
国立と荻窪、つながりはあった。
そもそもの意味は「邪悪な宗教」
短編だし、有名だしということで、芥川龍之介の作品はパラパラ読んでみたことはあるけど… けどで終わっていた。この機会に(って、何のきっかけもないけど)、彼の人生を踏まえ、作品が発表された時間軸を意識して再読してみようと考えている。
ということで、今回は初期の名作を最後の1~2文とともに紹介。
短編だし、芥川だし、間違いなく締めの1文は考えて書いている(と思う)。
- 羅生門
下人の行方は、誰も知らない。
行方を読者の想像に任せる無責任な感じが好きだ。
- 鼻
――こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。
内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。
「内供」はお坊さんの名前。長い鼻をもった主人公。
- 芋粥
敦賀の朝は、身にしみるように、風が寒い。五位は慌てて、鼻をおさえると同時に銀の提に向かって大きな嚔(くさめ)をした。
「鼻」同様、ハッピーエンドではないかもだけど、人生の閾値?を悟った主人公はその範囲においてハッピーエンドな感じがよろしいかと。
- 運
「手前でございますか。手前なら、そう云う運はまっぴらでございますな」
「へえ、そうかね。私なら、二つ返事で、授けて頂くがね」
「じゃあ観音様を、御信心なさいまし」
「そうそう、明日から私も、お籠でもしようよ」
落語っぽいなと思った。
- 袈裟と盛遠(もりとお)
袈裟は、燈台の火を吹き消してしまう。程なく、暗の中でかすかに蔀(しとみ)を開く音。それと共にうすい月の光がさす。
女の袈裟(けさ)と男の盛遠(もりとお)のラブロマンスの小説だった。そのすれ違い感が、読ませどころかなかと。
- 邪宗門
その時、又東の廊に当って、
「応」と、涼しく答えますと、御装束の姿もあたりを払って、悠然と御庭へ御下りになりましたのは、別人でもない堀川の若殿様でございます。(未完)
散々、読者の関心を引っ張て来て、これから!というところで、ブツっと未完って…
タイトルと内容も抜群だったので、是非ともスタイリッシュな結末を読ませて欲しかった。芥川氏の頭の中に結末はあったのだろうか?(多分、ない)
- 好色
しかしその時の侍従の姿は、何時(いつ)か髪も豊かになれば、顔も殆(ほとんど)玉のように変わっていた事は事実である。
肩透かしを食らった「邪宗門」の後の1編だけに、自分の集中力は欠落気味だった。
- 俊寛
事によると今夜あたりは、琉球芋を召し上がりながら、御仏の事や天下の事を御考えになっているかも知れません。そう云う御話はこの外にも、まだいろいろ伺ってあるのですが、それは又何時か申し上げましょう。
歌舞伎の「俊寛」を知っているだけに、つい比べてしまった。どちらが良い悪いはないけれど、今回の短編集においてはインパクトが弱くも感じた。
個人的には、羅生門>邪宗門>芋粥>鼻の順番で好きだ。邪宗門は懲りずに再読するかも。