文豪芥川龍之介の作品やそれを生みだした人の人となりに興味を持っていたけど、精神的に最もそばにいた妻の話が聞ける(読める)!と驚かされた1冊。
文庫概要
タイトル | 追想 芥川龍之介 |
著者 | 芥川文 |
記者 | 中野妙子 |
出版社 | 中公文庫 |
表紙は歌も筆も文夫人のものだが、むかしの人は主婦でも教養あったんだなと驚かされる。
内容紹介
49章に渡ってまとめられているが、薄い本なのでサクッと読めてしまう。記しているご本には大変だとは思うが、上手にまとめられていうるせいか、すごく読む事に集中でき当事者の気持ちが実感できる不思議。
語り部である妻は、女学校出て早々に結婚→男の子を三人出産→28才で未亡人と聞くだけで、それ以降の人生の辛抱強さに「むかしの人は凄い」と頭が下がる思いだけど、それ以上の何かを感じる。
13
神経が細い夫に三人の息子、夫の養父&養母に養父の姉(伯母)だかという年寄り所帯で暮らしていたようで、嫁いびりがあったのかないのか… 少なくない苦労にも耐え続けていただろう、だけど、こういう感想を読むと、結局は苦労は報われたのかな?と安心してしまう。
この気丈な伯母に死が近づいて、近親者も多数つめかけている枕元に、私の名を呼びます。(略)
「芥川家をたのむ」という伯母の最後の辛うじての言葉を聞いて、私は急に力が抜け、今までの労苦がいっぺんに吹き飛んでしまう思いがしました。
14
一方、神経が細い夫はイクメンにはなりえずとも、年寄りたちは子育てには協力的だったようだ。
長男が生まれると、伯母をはじめ、老人達は大変なかわいがりようで、長男が夜など泣いて困っていますと、養父は早速養母に提灯をささげさせ、自分で子供を抱いて、門までの間を行ったり来たりして、子守唄をうたって、寝かせてくれました。
結局のところ、家族って悩ましいなとも思わされる。
そんな年寄り達の中での生活が、主人には何となく、一つの重荷になっていったのではないかと、思ったりいたします。
17
そして、個人的にはこういうライフハック的な小ネタ噺は好きだったりする。
普段は床の間の花も養父が活けておりました。三十一日の朝になりますと、火鉢の引出しにしまってある、一年分の鰹節の削り残し(小さくなって削れなくなったもの)を鍋に入れて、朝からコトコト煮出しておき、一番だし、二番だしと、濃厚なだしを取って置きます。
34
神経が弱っていると、新緑の生命力に気が滅入るらしいというのも、妙に納得できる。常々、新緑の季節に生まれた自分は、新緑からエネルギーをもらって長生きしたいと思っているけど。
あの朝の新緑の圧迫に疲れはてた主人の姿と、赤ん坊を連れた、看護疲れの私の憔悴した姿とを、私はまざまざと見る思いがいたしました。
あの時の赤ん坊が、この車の運転をしていてくれます。
私は車をとめませんでした。今は箱根から東京へ帰る旅行者の私です。中西旅館はたちまちに過ぎ去ってゆきました。
ちなみに、この車を運転している赤ん坊は、三男くんのようです。
父親と接した時間が長い&母親から独立したのが早い長男と異なり、老妻は三男と同居していたようです。エッセイ集でも三男は比較的父母の話題や母のこともよく触れていた。
著者によるあとがき
冒頭、スパ!っと背景をまとめられている。
昭和三十八年から、四十三年九月夫人が亡くなられるまでの六年間、私は夫人に「龍之介のこと」をお聞きするため、調布のお宅へ通いました。
他人の人生をのぞき見するつもりはないと思う反面、知られざる文豪の私生活をのぞいてしまった気もする。他人(自分のこと)が無責任に、幸不幸を断言する資格はないけど、この方は与えられた人生をまっとうできたのでは?と思わせる内容だった。
この1冊でした(Amazon)
3,255円はちょと高いかと、再版が望まれるかな。こういう昔の人の飾らない気持ちの話、現代人は読んだ方がいいと思う。