本物の瓢箪(ひょうたん)が見たい
さすが東京。ネットで探してみると、瓢箪を売っているお店があったよ。
ちっちゃいの1個/500円を2個お買い上げした。話を聞いてみると、店のオーナーが好きで栽培しているらしい。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「とっぴんぱらりの風太郎(上・下)」
万城目学(文春文庫)
大阪を舞台にキャラクターがとても秀逸
主人公は風太郎(ぷうたろう)、愛称で「ぷう」と呼ばれるが、映画化するのであれば誰が適任かな?
他の主要な登場人物も、黒弓、常世、蝉左右衛門、百市、芥下(げげ)、残菊、琵琶、柳竹、まんかか様… と風貌や役柄にとてもマッチしてて、思わず呼びかけたくなるネーミング。
文章を楽しむ小説ではないから(失礼!)むしろ、荒唐無稽なのに感情移入をできるそのストーリーを楽しみたい。
それでいて、ライバル忍者「残菊」を
「刀さばきの速さ、正確さ、刀の持ち方。あの男、ただの乱暴者じゃない。人を斬る修練をちゃんと受けている」
と見抜く。結末に向かって、細かいプロとしての視点や技が積み重ねられる。
前半は、結構ほのぼのと笑える展開が多く、毎夜のピローリーディングの楽しみだった。
瓢(ひさご)は、「ひょうたん・ゆうがお・とうがんなどの総称」らしいが、ここでは、匿名でお供する高貴なお方のニックネームとして「ひさご様」が登場する。
各々、護衛を担当する常世(十成)、風太郎(百成)、黒弓(千成)と命名されるが、千成瓢箪(せんなりひょうたん)と言われるように、「成」は瓢箪を数える単位のようだ。
「ひさご様、こちらより百成に、千成――、ともに信頼できる者でございまする。都のことをよく存じている者どもゆえ、何なりとお申しつけくださりませ」
常世の目配せに促され、
「百成でございまする」
「千成でございまする」
そして
常世は「十成でございまする」。
このひさご様ご一行ツアーの話が前半では一番印象に残り、後半の結末へ向けて大きな布石となる。こういう物語りの構成力がすごいすごい!とつい再読してしまった。
そして、上巻の最後。
俺はゆっくりと面を上げた。いくさの前と何ら変わることのない、黒弓の無邪気な眼差しにぶつかったとき、ああ、俺はすっかり変わってしまったのだ。と気がついた。
前回読んだ時は、文庫ではなく1冊のハードカバーだったので気づかなかったが、下巻は上巻と異なり、初っ端から上巻の伏線を割とシリアス基調で回収してゆく。もっとストーリーの立場に立って述べれば、豊臣家滅びへの道筋みたいな。笑える上巻に比べ、緊張感がはるかに増す。
「ひょうたん」というモチーフを利用して、風太郎をはじめとする忍びの人々と豊臣家の物語でもある。
「どれだけ御殿のために命を張ろうとも、誰も儂らの働きになど目を向けぬ。割に合わぬ役目じゃ。おぬしはよいときに出ていったのかもしれぬ。もう、伊賀は忍びの国ではない。忍びよりずっと役に立たぬ侍のほうが、よほど偉い国になってしもうた」
自分はこれまで、忍者と呼ばれる人々が、どれほど報われない立場にいたのかを認識していなかった。
後半は、こういう人として認識されず生きた忍者の悲劇みたいなものも描かれる。
これはクライマックスで、風太郎が残菊のことを描写する一文。ストーリーの世界にはまり過ぎると、こういう場面でついしんみりとなる。
この男がどういう道をたどり、ここにやって来たのか、俺は何も知らない。すっかり充血した眼に涙を浮かべ、俺をのぞく切れ長の目の奥には、やはり色というものが何ら見当たらなかった。
笑いが多い前半(上巻)とは逆に後半(下巻)は、それぞれの会話は同じようにユーモアがあっても、殺傷が凄まじい(すさまじい)。だけど、豊臣家の滅びを舞台にこういう物語を描くことができるって、関西愛みたいな?ものを感じる。
万城目学氏の文学は
- 鴨川ホルモー ⇒京都
- 鹿男あをによし ⇒奈良
- プリンセス・トヨトミ ⇒大阪
- とっぴんぱらりの風太郎(2回)⇒大阪・京都
と読んでいるが、どれも関西色が強い。関東育ちの自分としては、とても興味深い。
最後に、これは大阪とは関係ないけど「とっぴんぱらりのぷう」とは、東北(秋田?)で昔話の締めの一句みたいな意味合いがあるらしい。この事実を知ったとき、最高のタイトルだなと改めて嬉しく思ったものだ。