料理のお口直しではないが、たまに読みたくなる漱石小説。伊集院静氏による「ミチクサ先生」が連載中だけど、タイトルのほのぼしさとは別に、内容はなかなか辛辣(言い方や言葉の調子がきつい様子)というより、お金に巡る心理的駆け引きを読ませてくれた。
本のタイトル | 道草 |
著者名 | 夏目漱石 |
出版社 | 新潮文庫 |
画像は漱石のホームグランドで小説の舞台としても登場する、新宿区荒木町界隈の様子。都会のなかにも少し雰囲気があって好きな場所。
楽しく読める娯楽小説ではないけど
読者の自分は楽しく読んでしまった。
wikipediaで背景を仕入れると、漱石自身の生活がもとになっている私小説風とか、実生活そのもののを描いているだけに自然主義とか書かれていただけど、個人的にはお金にまつわる人間像を描いているだけに、その赤裸々な雰囲気を(割と)楽しく読めてしまった。
新聞小説をまとめたのか、読み易い分量で101回分に別れていた。
お札にも登場した国民の作家である漱石が言い切ってしまうと、興味がそそられるのは自分だけではないのではないか?
みんな金が欲しいのだ。
いや、金しか欲しくないのだ
それを「道草」などと、楽し気なタイトルで包んでしまうのも微笑ましい。やはり、これまで読んだ漱石作品のうちでは、一番楽しく読めた。やっぱり人間の欲は小説になる。
三
せっかちな現在よりも、穏やかな当時にもかかわらず、漱石は「どうしてそんな暇があるのだろう」と言い切って守銭奴に例えているけど、それがこの小説のテーマにつながっているのね。
(略)体よくそれを断ったが、彼は心のうちで、他人にはどうしてそんな暇があるのだろうと驚ろいた。そうして自分の時間に対する態度が、恰も守銭奴のそれに似通っている事には、まるで気がつかなかった。
四十八
主人公健三(漱石の分身)の養父が守銭奴としてテーマとなっているが、一方では憐れみも寄せている。
健三はただ金銭上の慾を満たそうとして、その慾に伴わない程度の幼稚な頭脳を精一杯に働かせている老人を寧ろ憐れに思った。そうして凹んだ眼を今擦り硝子の蓋の傍へ寄せて、研究でもする時のように、暗い灯を見詰めている彼を気の毒な人として眺めた。
結局「いや、金しか欲しくないのだ」とは端的だけど… そこがこの小説の読みどころなのだよね。