「日本ぶらりぶらり」の続き?ではないが、発案者はきっと「二匹目の泥鰌」っぽい下心はあるのではないかなと。
本のタイトル | ヨーロッパぶらりぶらり |
著者名 | 山下清 |
出版社 | ちくま文庫 |
だけど、それで結果として素晴らしい作品が生み出されれば、それでいいのではと。
画像は弾丸ツアー一行も訪れ、山下画伯の挿絵もあるデンマーク首都コペンハーゲンの人魚姫の像。自分も20年ほど前に友人が住んでいた関係で2回訪れ、そのとき撮影。
「ヨーロッパぶらりぶらり」の行き先
1961年(昭和36年)だから、現在と比べられないほど海外旅行の敷居は高かったはず。20日間で多くの国をまわるのも理解できるが、最後は辛かっただろうな… だけど、自分も若かったらこういうツアーに憧れるなと。
- 出発まで
- とび出すジェット機
- ハンブルクのかみなり
- 日本語のわかるリス
- こじきがいないスウェーデン
- はだかの外国女
- やさしい国・オランダ
- ロンドンの番兵さん
- 地球に線がひいてある
- つゆのないパリ
- アベックは画けない
- モンマルトルは浅草
- ユングフラウで立小便
- ローマ女のオッパイ
- しめった東京の空
アベックは画けない
「日本ぶらりぶらり」で触れたけど、山下画伯は特徴を捉えて作品にしているらしい、ということで。なお「先生」とは、このツアーの保護者でもある精神医師の式場隆三郎氏のこと。
いまぼくの前にいるフランスの若い男と女はいつまでも動かないので、かこうと思えばかけるので、先生にあの人物も一しょにかいてもいいかといったら、かきたかったらかけばいいというのでかこうとしたら、(略)ぼくはスケッチするとき、わからないところはそばへいってよくみるので、
「先生、あの人物はこまかいところがよくわからないな。そばへいってよくみてきてもいいかな」というと
「それはだめだ。あのふたりは他人にじゃまされないように、しずかな運河のところへきて、ふたりだけで話をしているのだから、そばへいってじゃまをしたりしてはいけない」
「ふたりだけではなす話というのは、どんな話かな」
「こんどの休みはどこへあそびにいこうかとか、あなたはほんとうにぼくのことがすきかとか、結こんしてくれますかとか、とにかくおれと清が話すのとは、だいぶちがうだろうな」
この文庫では、式場隆三郎医師も「あとがき」を寄せていて、そこより
清はいままでにたくさん貼絵をやり、素描その他もやっているが、それらのうち放浪中や旅行中のものは、いたって少ない。大部分はあとで思いだしてやっている。
と裏話を披露。
現場ではこんなに複雑な建造物はとてもかけそうもない、といってがっかりしたり、あせっていた清だった。しかし、家へかえってそうした資料をみると、おちついてかけるのでやっと自信もでたらしく、例によってこつこつと密画をかいていた。
山下画伯を学術的な関心だけでなく、かなり人としてもユーモア交えて接している。それだけに二人の会話のギャップがいいし、清への説得力もある。
そして、赤瀬川原平さんの解説「過激な質問者の山下清」では
山下清にももちろん常識はある。山下清の常識のいいところは、自分の常識がちょっと間違っているかもしれない、と薄々知っているところだ。そして間違えるのはよくないと思っているので、ちょっと怪しいと思うことは、全部式場先生や誰かに訊く。
子供の思考に大人の視点が混じって読ませる文章であるけど、いかんせん少し物足りない。その部分を挿絵で楽しませてくれる1冊であった。