たかがピアノお教室の発表会でも緊張
自分は他人から羨ましがられるような人生でもなく、さほど世間体も気にしていない。そういうプライドや偏見に絡まれない時代で幸せだな。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「自負と偏見」
オースティン/中野好夫(訳)
(新潮文庫)
江戸時代後期という時代に書かれた小説に驚き
1813年に刊行されているが、日本だと江戸時代後期で11代将軍徳川家斉の時代と言われてもぴいんとこない。明治元年が1868年だから、そこから遡れば多少時代のイメージもつくかもしれない。そんな時代に、現在でも通用しそうな人間模様を1女子が描いているのだから、英国文学は底が厚い。
イギリスの貴族社会?は現在でも似たような人間模様を繰り返して婚姻関係を織り成しているのかな?など想像する。
言葉は悪いが、結婚は手っ取り早い成り上がれる手段かなと。
解説で訳者が触れているが、作者も
田舎に三つか四つの家族が集まれば、それで小説にはもってこいの材料
と言い切っている。別の作者は、オースティンのことを
日常生活にいくらでもある複雑な事態、感情、人物を描き出す点において、これほど驚くべき才能の持主はなかった
とも評している。普通のことをドラマに仕立てる。
英国田舎の中流階級5人姉妹のうち3人の結婚物語である。自負(プライド)の代名詞のような次女のお相手は、
「あの人の高慢ちきが、ほかの人の場合ほど腹が立たないのよ。だって、結構理由(わけ)があるんですもの。あれだけりっぱな青年で、その上、家柄、財産、そのほかなにもかもいいことずくめというんじゃ、得意になるのも当たり前じゃありません? 妙な言い方かもしれませんけど、いわば高慢になる権利があるんですもの」
結論はどう落ちるのか?という好奇心でストーリーを読み進める。
びっくり仰天な展開はないのだけど、
「(略)いったい、なんでも物事をテキパキとかたづけられるという才能だがね、たいてい当人は、それが得意なんじゃないだろうか。そして出来上りがアラだらけということは、めったに考えないんだね。(略)」
現在でも通用しそうな人間描写でストーリーを積んでゆく。
「自負と偏見」という概念をキーに3人姉妹の結婚までの駆け引きを描くので、絵になるような光景は思い浮かばない。
シャーロットとは、狂言回しでもある3人姉妹の次女の親友だが、自分が見切った婚約者候補と結婚するのに、内心は気の毒がる。むかしから、こういうシチュエーションもあったんだなと。
まさかにいざという場合、ただ世俗的利害だけを考えて、その他の気持は一切犠牲にしてしまおうなどとは、夢にも思っていなかった。(略)さらにもっと悲しかったのは、せっかくシャーロットの選んだこの結婚、どう考えてみても、まず五分の幸福すらえられそうにないという、はっきりした見通しだった。
一番先に決まる末っ子の結婚にすら
(略)まるでちがった別の結婚、夫婦愛などということとは、およそ無縁の結婚が、まもなく彼女たちの家で行われようとしているのだ。
と言い切る。一方、長女ジェーンの結婚には
(略)彼の幸福への期待は、決して単なる感情でなく、りっぱに理性の裏づけがあることが、よくわかった。というのは、それは、その背後に、ジェーンのすぐれた理知、そしてまたそれに輪をかけた美しい人柄、さらにはまた彼と彼女、二人のあいだに、じつによく似た趣味、感情があったからである。
祝福を送る。
現在の小説なら、「あの素晴らしい愛をもう一度」のような、こんなわかりあえたはずの二人でも… と続くのかもだけど、ここでは一応ハッピーエンドで終了する。
地味なテーマとストーリー展開だから、万人受けする小説ではないかもだけど、とてもイギリスらしい小説だと楽しく読めた。自分のうちでは、「嵐が丘」(1847年)や「ジェーン・エア」(1847年)と同じ読後感。
新潮文庫は「自負と偏見」としているが、他は「高慢と偏見」というタイトル。「自負」の方が控えめな感じがするけど、ストーリーからして「高慢」の方が嫌な感じが出ていて個人的には後者の方が好きだ。
映画はこれ!
映画のタイトルは高慢は横文字になっているけど、原題が「Pride and Prejudice」なのだから。
「プライドと偏見」
2005年。そもそもこの映画に興味があって原作読みたい…と積んでおいた。温めておくこと14年、早く映画も観たいな。
この1冊でした
- 作者:J. オースティン
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1997/08/28
- メディア: 文庫
新訳は表紙が自分好みでないけど、訳者の小山太一氏は気になる。
- 作者:ジェイン オースティン
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/06/27
- メディア: 文庫