引きこもり系のGWだから、重厚で(楽しいのを)読みたいと思っていた。
本のタイトル | 二都物語 |
著者名 | C・ディケンズ |
出版社 | 新潮文庫 |
軽く適当に時代の説明
イギリスの作家ディケンズ(1812-1870年)といえば、未読だけど「賢者の贈り物」しか知らない… とwikipediaで調べると、それはディケンズではなく、オー・ヘンリーという別のアメリカ作家で、自分は「クリスマス・キャロル」と混同していたという発見から始まった。
それでも、次の作者ということは正しく、どれも自分好みの長編でいずれは読みたいと思っていた。
- オリヴァー・トゥイスト(1837-1839年)
- デイビッド・コパフィールド(1849-1850年)
- 二都物語(1589年)
- 大いなる遺産(1860-1861年)
下手に予備知識で偏見持っても仕方ないと思いつつ、せっかくならディケンズの特徴くらい知りたいかなと調べてみれば、
- プロット構成にはやや難、最良の部分は人物描写などの細部
- 映画のカメラワークにも似た迫真のストーリー・テリング
- 幼少時の貧乏の経験から労働者階級に同情
とある。だけど、歌舞伎や落語だってプロット構成に難があっても、肝心のキモに共感を寄せることができれば、それで十分満喫できると思っている。そもそも、古典などはその破れ具合が楽しいとすら(自分は)思っている。
特に古典は、現在の時代では知り得ない社会環境を知れることもいい。
ということで、「ロンドンとパリという二大都市を舞台にフランス革命前後を描く」と読書欲をそそられる前文句に惹かれて読んだ。
ミステリー仕立ての引力も併せ持っていたかなと
第一部が6章、第二部が24章、第三部が15章で構成されている。
- 序文
- 第一部 人生に甦る
- 第二部 金の糸
- 第三部 嵐のあと
一言で申せば、予想外にミステリー仕立てのような引力を感じた。この結末で良いか良くないか?はさておき、フランス革命の根元でもあった富める階級と貧しい階級の埋められない溝を実感してしまった。ディケンズの「幼少時の貧乏」が色濃く残っているのかなと。
第二部 金の糸
第一部はまさに起承転結の起なのだけど、美少女ルーシーと長らくパリで不当に監禁されていたらしい父との邂逅(思いがけなく出会うこと)が描かれ、その先どうなるのかな?ということで、物語が動き出すのが代二部だった。
ルーシーは、父親のむごい体験よりまえの過去と、あとの現在を結びつける金の糸だった。彼女の声の響き、顔の輝き、手の感触は、ほとんどいつも父の気持ちを引き立てる強い力を持っていた。
誰が主人公なのかよくわからないまま、ルーシーを軸とした幸せ物語は続く。そんな中、こっそりカートンという地味な男が登場し紹介される。
しかし何より悲しいのは、すぐれた才能と心根を持ちながら正しく使うすべを知らず、己を助けることも、幸せにすることもできず、自分を損なうものに気づきながら、あきらめて身をまかせているこの男の姿だった。
正直、この時点で彼に割り振られている役を自分は見抜けなった。こういう人物配置がミステリーぽいのかも。
そして、第二部の最後で起承転結の転が始まり、舞台はロンドンから革命のパリへ。
貴族のために特別に創られた宇宙がこれほど早く、からからになるまで搾り尽くされてしまうことの不思議よ!
第三部 嵐のあと
ドファルジュ夫妻は、ルーシーのパパが監禁されていた時、陰ながら支えた人物である。読者(自分)にしてみれば、当然味方のつもりでいるのだが…
ドファルジュ夫人と仲間のふたりの影が威嚇するように暗く子供に差しかかったので、ルーシーは本能的にその横にひざまずき、わが子を抱きかかえた。ドファルジュ夫人と仲間の影は、するとますます威嚇するように暗く、母娘の上に落ちた。
時に、自分が生きる現実の社会でも、妙な空気感が嫌な人間関係を的中させることってあるよなと。で、結末はいかに?
舞台はロンドンとパリ、うかつにも自分は華やかなストーリーを期待していたが、フランス革命がテーマになっているのだから、浮かれ話で終わる訳はないよねと。フランス革命でマリー・アントワネットが処刑されたのが1793年、ディケンズにとっては、それほど過去の出来事でもなかったのかなと。
「プロットに難あり」と評されていたけど、伏線はわりと全て回収されていた気がする。ふむ、いずれ異なる訳者で再読したいかも。そういう1冊だった。