決して戻らない恥ずかしいくらい眩しい高校時代
小説内における携帯電話の機種描写から、舞台設定は2005年以降(スマフォ以前)なのは推測できたが、高校図書部員たちが織り成す人間模様がまるで自分の80年代高校時代の部活を思い起こさせた。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「ぼくは落ち着きがない」
長嶋有
(光文社文庫)
#文庫の会(仮)交換会
うちにも届きました!!
海の中のハコ @naka_haco さんから、ご無沙汰していた作家さん(同じ年齢で親近感強)で楽しみです😏
月曜から盛り沢山で幸せです。 pic.twitter.com/8zQtf0rgnQ— やのふじね (@1book1photo) 2019年7月29日
Twitterの #文庫の会 の「文庫交換会」で我が家にやってきた1冊。
今回、交換会のテーマ「本」。選者さま択一の1冊ということで、読んでみるとまさに高校図書部を舞台とした「本」のお話であった。けど!
それだけでは終わらない。
解説・堺雅人で自分と青春時代が被っていた
著者の長嶋有氏(1972年生まれ)、解説の堺雅人氏(1973年生まれ)だから、第二次ベビーブーマーとして、1972年生まれの自分と同じ時の流れで人生を生きてきた。なので、時代や世代に対する感覚は似ているかな?とか。
小説の舞台設定でもある2005年以降の高校生も、同じようなのかな?
携帯電話などの小道具こそ自分の高校時代には存在しなかったけど、ここに描写された空気は自分たちの高校時代(1980年代バブル絶頂期)のノリなのでは?と感じる節もあった。
それでいて、気になるフレーズがいくつかあった。
皆、そんなにも、早く帰りたいのか。家に、あるいは帰り道に、楽しいことがたくさん待っているのだろうか。
自分は高校時代、毎日楽しくて「早く帰りたい」というのはなかった。ただ、学校から家まで自転車で数分だったので、「帰り道に、楽しいこと」というのもなかった。
こういうところに潜む、小さい楽しいことは、本当に楽しいのかもしれない。
「残念」とはいったものだ。本当に、念がそこに残るんだ。
俳句もたしなむ著者・長嶋氏らしい一文だなと。
ちなみに、自分の高校は文化祭が終わると、高校三年生は勉強よりその脱力感から抜け出せない方が多かった(だから、浪人生も多かった)。
文化祭が終わったせいなのか、学校中が脱力している。放課後の図書室はがらんとしていた。大学を受験する三年生の多くは強化補習か塾だ。
そんないちいち、どうでもいいところに立ち止まり、肝心のテーマ「本」より、自分の高校時代をオーバーラップさせて読んでしまった。
しかし、こういう初々しい内容も楽しいなと。自分から手にすることはまれだから、交換会のチャンスで巡り合える醍醐味です。