江戸っ子ぽい画像ということで富岡八幡宮「横綱力士碑」
政治家などの要職に江戸っ子はいないけど、文学藝術は… というのが谷崎の持論だったらしい。確かに、的は得ているのかなと。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「青春物語」
谷崎潤一郎
(中公文庫)
生え抜き江戸っ子は文学藝術で活躍
日本人作家の作品を楽しみたいのであれば、やはり谷崎潤一郎も読んでおかないと!と思っている。と言いつつ、もちろん若いころから、数は読んでいるものの読みっぱなしだったので、ここは再読かねてもう少し整理してみようかなと。
今回はこの本と巡り合ったご縁で、ご自身による回顧録っぽいものを読んでみた。
青春物語
自身の文壇デビューまでの思いが中心だった。
ただ鴎外と漱石の両大家だけはさすがに時流に超然として、前者はおりおり揶揄の言辞を弄し、後者は全然文壇などを無視する態度に出たけれども、ために鴎外の歴史物は高等講談という悪罵を受け、漱石もまた、一般には廣汎な読者を有するに拘わらず、文壇の中心勢力からは敬遠主義を取られていた。
やはり、当時の時代から鴎外と漱石は別格なのかと改めて認識。とくに後者の漱石は身近に感じるけど、実はすごいんだなと。
(略)荷風氏は当時佛蘭西(フランス)滞在中(?)の最も先鋭な新進作家であり、恐らくはまだ二十代の青年らしく思われたので、私はひそかにこの人に親しみを感じ、自分の藝術上の血族の一人が早くもここに現れたような気がした。
自分にとっては意外!だったのは、永井荷風と精神的なつながりがあったこと。
そう思うと、確かに方向性は似ているかも。
(略)そして口紅もあの玉虫色に光る、光線の加減では青く真っ黒にさえ見える、東京で云う「くれないの紅」という奴だった。私は今にして思うのであるが、厚化粧をしてその唇を青貝色に光らしていたあの時分の京の女は、何と冷めたく美しかったことであろうぞ。(略)とにかくまだあの時分までは、長い伝統を持つ封建時代の京女郎の美が、あの女たちの表情のない顔に霜のように寒く白々と凝結していた。
しかし、その後の二人の人生を照らし合わせてみれば、最後は独身生活を貫く荷風と妻帯者だった潤一郎では、陰と陽の気もする。しかし、作風については、厚化粧の怪しい玉虫色な世界を好んでいった潤一郎の方が、良い意味で質(たち)が悪いかも。しかし!その悪いところが魅力なんだよね。
それでも荷風も潤一郎も、あやしくて楽しい。
藝談
おまけ?で一緒に収録されていたこちらは、谷崎の藝事に対する思いで、より一層谷崎の好みを知ることができた。
由来東洋人は骨董品につや布巾をかけて、一つものを気長に何年でもキュッキュッと擦って、自然の光沢を出し、時代のさびを附けることを喜ぶ癖があるが、藝を磨くと云い、藝を楽しむと云うのも、畢竟(ひっきょう)はあれだ。
畢竟(ひっきょう)とは「さまざまな経過を経ても最終的な結論としては」という意味らしい。シンプルに人間枯れてくると、キュッキュと磨くのは楽しいよね。