中国で食べるものは何でも美味しかった
芥川氏、紀行文はあまり向いてないかも…(失礼!)とか思ってしまった。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「上海游記|江南游記」
芥川龍之介(講談社文芸文庫)
雑多でも怪しい魅力を備える中国
前にも読んだことあるのだけど、内容について全く覚えてなかった…。印象が薄かったのだが、なぜならば!
大谷崎に比べれば芥川氏は神経質そうで病弱で、実際現地で入院しているし、胃腸弱そうだし… それでいて真面目なせいか旅の醍醐味よりも報告調になっているせいかなと。
wikipedia にも
1921年には海外視察員として中国を訪れ、北京を訪れた折には胡適に会っている。胡適と検閲の問題などについて語り合いなどを行い、7月帰国。『上海遊記』以下の紀行文を著した。
この旅行後から次第に心身が衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを患う。
とある。こちらは、このときの一連の紀行文のようだ。
主なものは先の2作だけど、長江(つまり大きな川ですね)と北京を訪れた様子と最後に絵葉書に記した文が収められていた。
- 上海游記
- 江南游記
- 長江游記
- 北京日記抄
- 雑信一束
上海游記
この作品は最初のせいか、本人の期待もあり再読してみると割に面白く読めた。
しかし、全体を通してどうしてもdirtyな(汚れた)部分に目がゆくようで、そこに変な人間性を見出している点は芥川作品の特徴かと思った。
(略)あの花売りの婆さんが、くどくどと何かしゃべりながら、乞食のように手を出している。婆さんは銀貨を貰った上にも、また我々の財布の口をあけさせる心算でいるらしい。私はこんな欲張りに売られる、美しい薔薇が気の毒になった。この図々しい婆さんと、(略)確に支那の第一瞥であった。
次はキャバレー?のようなところへ出かけ、きれいな商売お姉さんたちの描写。金剛石は、ダイアモンドだよ。こんなダイアモンドしていたら、腕切られても当時の中国ならあり得る話かもしれない。
それが、耳環にも腕環にも、胸に下げた牌にも、べた一面に金銀の台へ、翡翠と金剛石とを嵌めこんでいる。中でも指環の金剛石なぞは、雀の卵程の大きさがあった。これはこんな大通りの料理屋に見るべき姿じゃない。
江南游記
魔都上海から、蘇州方面へと下ったときの紀行文で気力の衰えを感じさせる。
連れの島津氏は中国生活にはまっている活力ありそうな人物だけに、芥川と歩調が合わず、詳細な報告はなかったが、大ゲンカもしたそうだ。旅先でケンカするのは辛いね。
其処へ面皰(にきび)のある男が一人、汚い桶を肩へ吊りながら、我々の机へ歩み寄った。桶の中を覗いて見ると、紫がかった臓腑のような物が、幾つも混沌と投げこんである。
「何です、これは?」
「豚の胃袋や心臓ですがね、酒の肴には好いものです。」
島津氏は銅貨を二枚出した。
(略)勿論私は食わなかった。
揚子江をくだるところでも、今一つ調子は出ない感じで、遠路はるばる「がっかり名所」を訪れた雰囲気だった。旅はある種、自分に魔法をかけないと楽しめないかなと。
此処はもう長江じゃない。(略)薄日の当った土手の上に、野菜の色がちらついたり、百姓の姿が見えたりするのは、何だか銚子通いの汽船の窓から、葛飾の平野でも眺めるような、平凡な気もちがする位である。(略)紀行を書かされる時の下拵えに、懐古の詩情を捏ね上げようとした。しかしこれは取りかかって見ると、思った程容易に成功しない。
北京日記抄
数ページの短い作品だったけど、最後の最後の記述が芥川らしくて印象に残った。
(略)天壇の外の広場に出ずるに、忽(たちまち)一発の銃声あり。何ぞと問えば、死刑なりと言う。
紫禁城。こは夢魔のみ。夜天よりも膨大なる夢魔のみ。
しかし、迫力に欠ける紀行文でも芥川らしくて好きだな。
映画はこれ!
必見!2019年末の楽しみっす。