東京高円寺はラテンぽい街かな
明るく混沌な感じがラテン系だと思っている自分。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「予告された殺人の記録」
G・ガルシア=マルケス
野谷文明(訳)
(新潮文庫)
混沌としつつがっちり構成
コロンビアのノーベル賞作家であるガルシア・マルケスによる、タイトルのとおり「俺(たち)はこれからコイツを殺す」と宣言し、周囲の人々も本人も認識していて本当に殺されてしまった(男)のお話。再読です。
150ページほどの中編で、ほぼ均等に5章にわかれている。
ストーリーに相当する事件も犯人もその背景も早くに読者はわかってしまうけど、その各々を埋めてゆくのがこの小説の読みどころ!
その埋められた話というのが、語り口調も出来事も(日本を含めた)アジア調でもヨーロッパ調でもない、ラテンな感じなのである。と、言っても説得力がないな。
第1章とは銘打ってないけど、1番目(この小説)はこの一文で始まる。被害者は「サンティアゴ・ナサール」、とくにラテン系は名前が長いので混乱しないように注意しないと、話に乗れなくなる。
自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。
次に2番目の章は次のとおりで、バヤルド・サン・ロマンが処女でなかった妻を実家に返す!という出来事がきっかけで殺人は起こる。
妻を実家に返した男、バヤルド・サン・ロマンが初めて姿を見せたのは、前の年の八月、つまり婚礼の六ヵ月前のことである。
そして、3番目。加害者は双子の兄で、彼らは実家に返された妻の兄たちである。ここでいう名誉とは、「妹の処女を奪った(犯した)男(つまりサンティアゴ・ナサール)への報復」というのだけど…
弁護人は、名誉を守るための殺人は正当であるという論を展開し、陪審員たちはそれを認めた。そして双子の兄弟は、公判の終わりに、名誉のためなら何度でも同じことをするだろうと宣言した。
4番目では、被害者のサンティアゴ・ナサールの死後の様子と、加害者の双子の兄弟について語られる。
ナイフの傷は、カルメン・アマドール神父による無慈悲な検死解剖の手始めのようなものだった。
ここまで、ついストーリーを追って触れてきたが、ラテン調な語りとは、兵役で淋病にかかった双子の弟の様子を次のように説明する感じと自分は思っている。
「花盛り」とか「ホース」を理解できない方は、読み飛ばしてくだされ。意外に下ネタ?な描写を隠喩で語るとこが多い。
同時に双子の弟の、花盛りのホースを開通させたのは、他ならぬ、百歳になる女族長、スセメ・アブダラその人だった。
そしてファイナルな5番目では、
何年もの間、わたしたちの話すことはほかにはなかった。連綿と続いてきた数多くの習慣にそのときまで従っていた我々の日々の行いは、突如として、共通の不安を中心に回り始めた。(略)
宿命が彼に名指しで与えた場所と任務がなんだったのか、それがきちんと分からぬまま暮らしてゆくことは、わたしたちにとって不可能だったからである。
これまで「予告された殺人の記録」として、加害者、被害者、事件の背景も語られたきたのに、ふとした疑問(返品された妻を犯したのは、サンティアゴ・ナサールなのか?)が人々に混乱を招く。
さて、結末はいかに?
と、出し渋るつもりはなく、この話は「衝撃の結末」系な話ではない。結末はさほど重要でない。
混沌としたラテン系な話だけど、5章にわたって非常に構成はしっかりしていつつ、ストーリーのポイント&ポイントを埋める話がラテン的な(性的ネタ含む)寓話っぽいところが日本の小説と異なり面白く読めたなと思っている。
「百年の孤独」は、この語り口調を重層的に厚くしたものなので、この話を楽しく読めた方は是非挑戦してみる価値はあると思う!