そこは元・加賀藩前田家上屋敷の庭園「育徳園心字池」
通称:三四郎池と呼ばれる東京大学にある池は、「心」という字をかたどった「心字池」とのこと。夏目漱石の小説「三四郎」の主人公は、この池の麓に立ち止まり、あれこれ物語が始まります。
構内へは比較的自由に入ることでき、このアカデミックな雰囲気にそそられるますが、この池の雰囲気は大学構内という趣は少ない。やっぱり殿様の元庭園でしょうか。
もろもろ個人的な理由で文京区は長年(そして現在も)よく通っています。居住地杉並区の次に好きな区で、ここであれば住んでみたいと思わせる地域。今後も、当サイトのネタ探しも含め、あれこれ足を運びたいかなと。
加えて、しばらくがっつり漱石も読んでいきたい。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「三四郎」夏目漱石(新潮文庫)
長編小説前期3部作の第1作目「三四郎」
続くは「それから」と「門」らしいです。
妙な偏見に囚われたくないと、いまさらながら予習もなく読み始めてみました。漱石は「坊ちゃん」「我輩は猫である」しか読んでません。正直、読み始めはつかみ所を見つけられませんでした。
それでも、自分の若かりしき頃(大学卒業ごろかな)と比較し、思い当たる思いが出てきました。
三四郎には三つの世界が出来た。一つは遠くにある。(略)三四郎は脱ぎ棄てた過去を、この立退場の中へ封じ込めた。なつかしい母さえ此処に葬ったかと思うと、急に勿体なくなる。
自分にも、育った世界、働き始めた(職場)の世界、そして広がり始める友人関係の世界と、田舎から上京した三四郎のように世界が広がり始めたなああと。
第二の世界のうちには、苔の生えた煉瓦造りがある。(略)出れば出られる。然し折角解し掛けた趣味を思い切って捨てるのも残念だ。
意外だったのは、この小説、恋愛小説の側面も持ち合わせていたらしいところ。書きっぷりが地味なので、今ひとつ実感わかなかったけれど。
第三の世界は燦として春の如くうごいている。(略)この世界は三四郎に取って最も深厚な世界である。
そして、三四郎は早くも簡単に理想を結論づけてしまいます。
要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問に委ねるに越した事はない。
しかし、小説だし、そう簡単にはハッピーエンドは訪れない。居心地が悪いながらも、広田という一見社会から遊離した人物に息抜きの関係を見出す。
三四郎が広田の家へ来るには色々な意味がある。一つは、この人の生活その他が普通のものと変わっている。ことに自分の性情とは全く容れない様な所がある。(略)次にこの人の前に出ると呑気になる。
ハッピーエンドな結末ではなく、どこかしら三四郎に課題を残すニュアンスで終わる。
(さすが?)漱石なのか、登場人物の言動一つ一つにそれなりの意味を含ませている部分に読み応えを感じた。今の時代と比較すると、現在でも「こういう性格の人物いるな」と共感を得ました。
正解や落ちがある話ではないが、色々な性格の人物が織りなす複雑で厄介な社会とどう向き合う?と頭を使う小説でした。漱石も、こんなことに頭を悩めれば、うつ病にも胃潰瘍にもなるかな、なんて。
それと、美術の展覧会に行った話があります。
長い間外国を旅行して歩いた兄妹の画が沢山ある。双方共同じ姓で、しかも一つ所に並べて掛けてある。美彌子はその一枚の前に留まった。
先日、この画家の展覧会を見てきたので紹介まで。兄妹というのは、兄は養子なので血の関係はなく、この2人は後に夫婦になってました。
結構、小説の舞台設定としてトレンディな話題も含まれています。さすが、アートにもアンテナ高い漱石です。