夏目漱石にはまってます。
満開時の百合の香りは強烈で
本筋ではないですが、明治小説なのに、百合の香りを手掛かりに二人の過去を思いを呼び起こすテクニック、やっぱり漱石の小説は現在でも読み応えアリ。
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「それから」夏目漱石(新潮文庫)
長編小説前期3部作の第2作目「それから」
主人公代助のキャラが理屈っぽく、全体的に理詰めのストーリーですが、自分にとっては変に共感を抱けたりします。解決や結論が得られる結末でなく、正直「だから何?」と思う読者も多いのかもですが、発表された当時、おそらく一定の知識層にはそれなりに受け入れられたのでしょうか。
ニート代助が、困窮する友人(の妻は以前思いを寄せていた三千代)にお金を融通しようと、兄の誠吾におねだりした時の兄の見解は、
誠吾の理由を聞いてみると、義理や人情に関係がないばかりではない。返す返さないと云う損得にも関係がなかった。ただ、そんな場合には放って置けば自からどうかなるもんだと云う単純な断定であった。
結局お金を出してはくれない。
代助は、父親や兄を俗世間にまみれた人物として割り切りますが、自分は結構こういう兄の解釈に共感します。
そして、父親や兄(そして兄嫁も)打算で代助に嫁をもらえと迫ります。しかし、迫られれば迫られるほど、代助は友人の妻となった三千代への思いが蘇り、深入りしてしまう。
どうせ誰を持って行っても気に入らない貴方なんだから、つまり誰を持たしたって同じだろうって云う訳なんです。
「(結婚相手について)誰にも満足しないのだから、誰だって同じ」という理屈は、今でも十分ありますが… 結婚してない自分はそこに触れる資格はない。
そして、百合が登場するシーン
代助は、百合の花を眺めながら、部屋を掩(おお)う強い香の中に、残りなく自己を放擲した。彼はこの嗅覚の刺激のうちに、三千代の過去を分明に認めた。その過去には離すべからざる、わが昔の影が烟(けむり)の如く這い纏わっていた。
論点も多い漱石の小説ですが、こういう細かい小道具(ここでは百合)に注目して分析するのも面白い気がする。
そして、決め台詞が出る!
「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を読んだのです」
ニート代助は、三千代の夫である友人に詫びる。
「(略)僕が君に対して真に済まないと思うのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいに遣り遂げた義侠心だ。君、どうぞ勘弁してくれ。僕はこの通り自然にかたきを取られて、君の前に手を突いて詫まっている」
兄からは
「御前は平生から能く分からない男だった。それでも、いつか分る時機が来るだろうと思って今日まで交際っていた。然し今度と云う今度は、全く分からない人間だと、おれも諦めてしまった。世の中に分からない人間程危険なものはない。何を為るんだか、何を考えいるんだか安心が出来ない。御前はそれが自分の勝手だから可かろうが、御父さんやおれの、社会上の地位を思ってみろ。御前だって家族の名誉と云う観念は有っているだろう」
と言われる。
実は自分も過去に似たようなセリフで、親を泣かせたことがある…
だから、少し辛い。
最後は略奪愛となり、親や兄から周旋された縁談を断り、経済的自立を迫られ… と容易に想像つく局面を迎え「それから」というタイトルのごとく、読者に期待”だけ”させて終わります。
一般的には、続く3部作の第3部「門」に漱石なりの結論を提示しているらしく、もちろん続きも読みますが、個人的にはこれはこれで、現在でも十分起こり得そうな人間模様を読ませてもらった充足感アリ。
結局、人は一人で生きてる訳でなく、どうやって(親族も含めて)他人との距離を計っていくかは永遠の課題かなと。
この1冊でした
多くの出版社から出てますが、新潮文庫が好き。